宣華夫人陳氏
- 宣華夫人陳氏は陳の宣帝の娘。聡慧で容姿無双であった。陳滅亡後、掖庭に配され、のち嬪として後宮に選ばれた。独孤皇后の嫉妬のため後宮の女性は寵を得にくかったが、陳氏だけは寵愛を受けた。
- 藩邸にあった晋王広(煬帝)は密かに太子の地位を奪う計画を持ち、陳氏を内助として取り込もうと金蛇・金駝などの品を贈って媚びを取った。皇太子の廃立に際して陳氏も一定の役割を果たした。文献皇后崩御後、貴人に昇進し寵愛を独占して内事を専断し、六宮に並ぶ者がなかった。上の崩御に際し遺詔で宣華夫人に任じられた。
- 上が仁寿宮で病臥していた際、夫人は太子(広)と共に看病していたが、早朝更衣に出た際に太子に迫られ、辛くも逃れて上のもとに戻った。上は夫人の様子の異変を怪しんで問い、夫人は泣いて「太子が無礼を働いた」と訴えた。上は怒って「畜生に大事を託せようか、独孤(皇后)が私を誤らせた」と言い、兵部尚書柳述・黄門侍郎元巌を呼んで「我が子(廃太子の楊勇)を呼べ」と命じた。述らが太子への詔書を作成し左僕射楊素に示すと、素はこれを太子広に告げ、太子は張衡を寝殿に送り込み、夫人ら侍疾の後宮を別室に移した。まもなく上の崩御が伝えられたが未だ発喪されなかった。
- 夫人らが「事変が起きた」と震え慄いていると、夕方太子から金の合子が届き、封に太子自らの署名があった。夫人は毒薬かと恐れたが、使者に促されて開けると中には同心結が数枚入っており、宮人らは「死を免れた」と喜んだが、陳氏だけは怒って謝礼を拒んだ。宮人たちに強いられてようやく使者を拝した。その夜、太子は陳氏を犯した。
- 煬帝即位後、陳氏は仙都宮に移されたが、まもなく召還され、1年余りで29歳で没した。帝は深く悼み、神傷賦を作った。