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漢書
卷八十 宣元六王傳第五十 楚孝王囂
楚孝王囂
甘露二年に定陶王として立てられ、三年後に楚王に徙封。河平年間の入朝時に病を得たが、二十余年の在位中に過失なく孝順仁慈であったことを宣帝が詔で称え、子の勲を広戚侯に封じた。囂の薨去後、子の懐王文が一年で無嗣のまま薨じ、弟の平陸侯衍が思王として継承、その子紆の代に王莽により絶えた。楚系からはまた定陶王景(後に信都王)や、平帝期に定安公とされた王莽の傀儡・嬰(後に更始期に方望らに擁立され殺害された)などの後裔が出た。
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