漢書卷七十一 雋疏于薛平彭傳第四十一 疏廣
功成り身退く
- 疏広、字は仲翁。東海蘭陵の人。春秋を教授し、地節三年皇太子の少傅となり後に太傅に昇る。兄子の受は太子家令から少傅となり、父子で太傅・少傅を兼ねる栄誉を得た。太子の外祖父許伯が弟舜に太子家を監護させようとした際、広は「太子には既に師友・太傅少傅の官が備わり、外家に偏るべきではない」と諫め、丞相魏相もこれを是とした。太子が十二歳で論語・孝経に通じた頃、広は受に「知足知止は天の道、二千石の位で名も立った今こそ辞めて故郷に帰るべき」と説き、共に病と称して官を辞した。皇太子・公卿大夫・友人らが盛大に見送り、故郷に帰った広は連日金を費やして親族・旧知と饗宴を開いた。子孫が財産形成を勧めても広は「子孫に財を残せば怠惰と過ちを生む、この金は聖主が老臣を養う恩、郷党と分かち合いたい」と答え、族人は感服して従った。二人は共に天寿を全うした。