漢書卷七十一 雋疏于薛平彭傳第四十一 雋不疑
偽衞太子事件
- 雋不疑、字は曼倩。勃海の人。春秋を治め礼を重んじ州郡に名が聞こえた。武帝末、直指使者暴勝之が勃海を訪れた際、不疑は進賢冠・櫑具剣・環玦を帯び威儀を正して謁見し、剛柔の均衡を説く戒めの言葉で勝之を感服させ、勝之は不疑を朝廷に推挙、京兆尹に抜擢された。京師の吏民は威信を敬い、母は毎回息子が冤罪を晴らした人数を尋ね喜んだという。始元五年、黄犢車に乗り自ら衞太子(戻太子)と称する男が北闕に現れ長安中が騒然となる中、公卿も判断がつかず立ちすくむ中、不疑は「衞太子は先帝に罪を得て死ななかった以上、たとえ本物でも罪人である」と喝破し詔獄に送った。宣帝・霍光はこれを「公卿大臣は経術に基づき大義を明らかにすべし」と称賛し、不疑の名声は朝廷で重んじられた。霍光が娘を娶わせようとしたが不疑は固辞し、後に病で官を退き家で没した。後に廷尉の取り調べで、この男は夏陽の卜者成方遂が、太子に似ていると言われたのに乗じて偽称したものと判明し、方遂は誣罔不道の罪で腰斬された。