漢書卷五十 張馮汲鄭傳第二十 馮唐

老将の直言

  • 馮唐の祖父は趙人、父は代に移り、漢興後に安陵に移った。孝行で知られ郎中署長として文帝に仕えた。
  • 文帝から「なぜ今頃まで郎のままか」と問われた際、代における趙将李斉の武勇を語る中で、廉頗・李牧の将才には及ばないと評した。文帝は「自分は李牧のような将がいれば匈奴を憂えずに済むのに」と嘆いたが、馮唐は「陛下は例え廉頗・李牧を得ても用いることができない」と直言。
  • 怒った文帝に対し、馮唐は改めて説明した。李牧が趙将として辺境の軍市の税をすべて士卒の饗応に使い、賞罰の決定を現地に委ねられていたからこそ、精鋭一万三千の騎兵と善戦して単于を破り東胡・澹林を滅ぼし、秦・韓・魏を抑えることができたこと、しかし讒言により李牧が誅殺されて趙は滅んだ故事を語った。
  • 現在の雲中太守魏尚も同様に軍市の税を士卒に使い、私財を投じて士気を高め匈奴を遠ざけていたが、わずかな首級数の申告誤差を理由に爵位を削られ罰せられたことを指摘。「法は厳しすぎ、賞は軽く罰は重い、これでは陛下は李牧を得ても用いることができない」と論じた。
  • 文帝はこれを喜び、その日のうちに馮唐に節を持たせ魏尚を赦免し雲中太守に復職させ、馮唐自身は車騎都尉に任じられた。景帝の代には楚相となり、武帝即位後は賢良として推挙されたが既に九十余歳で官に就けず、子の遂が郎となった。