漢書卷五十 張馮汲鄭傳第二十 張釋之

法の公平を貫いた廷尉

  • 張釈之、字は季。南陽堵陽の人。兄仲と同居し、資産により騎郎となり文帝に仕えたが十年間昇進できなかった。免職を望んだところ、中郎将爰盎がその賢才を惜しみ謁者に転じさせた。
  • 文帝に「秦漢興亡の要諦」を平易に説き称賛され、謁者僕射に昇進。上林苑で虎圏の役人が禽獣簿の質問に答えられず、代わりに答えた嗇夫の弁舌を文帝が評価し昇進させようとした際、張釈之は「絳侯・東陽侯のような長者は口下手だが、この嗇夫の口先だけの弁舌を真似れば天下は実を失う」と諫め、文帝はこれを取りやめた。
  • 太子(後の景帝)と梁王が司馬門で車を降りず規則違反をした際、これを弾劾し、薄太后の勅許を得て初めて入宮を許した。この剛直さにより文帝から中大夫、中郎将に取り立てられた。
  • 覇陵行幸の際、文帝が「北山の石で棺を作れば堅固で動かせない」と述べたのに対し、「中に欲しがるものがあれば南山を固めても隙間ができる、なければ石棺がなくとも憂いはない」と諫め、称賛された。
  • 廷尉となった後、天子の乗る馬車が橋の下から走り出た男に驚かされた事件で、罰金のみの判決を下したことに文帝が怒ると、「法は天子と天下が共有するもの、今これを重くすれば法は民に信じられなくなる」と説き、文帝はこれを認めた。
  • 高廟の玉環を盗んだ者を族滅にしようとした文帝に対しても、「今この程度の罪で族滅すれば、万一長陵の土を盗む愚民が出た時にどう処罰するのか」と諫め、通常の量刑にとどめさせた。この公正な姿勢により天下に称えられ、条侯周亜夫らとも親交を結んだ。
  • 文帝崩後、景帝の即位に際し、かつて太子(景帝)を弾劾したことを恐れたが、老人王生の機知に富んだ計らい(皆の前で足袋を結ばせ張釈之の名声を高めた逸話)により事なきを得た。その後淮南相となり、老年で病没した。