漢書卷四十五 蒯伍江息夫傳第十五 江充

巫蠱の獄

  • 江充は趙国邯鄲の人。もと名は斉。妹が趙太子丹に嫁いだ縁で栄達したが、太子と不和になり追われ、長安に逃れて改名し、逆に太子丹の姦悪を告発した。趙王彭祖の訴えにもかかわらず太子丹は廃された。
  • 武帝に謁見し、その威風ある容貌を気に入られて重用され、直指繡衣使者として貴戚の奢侈を摘発するなど厳格な取り締まりで信任を得た。館陶長公主の馳道通行を咎めるなど、権門にも容赦なかった。
  • 太子(後の戻太子)の使者が馳道を通った際も摘発し、太子との間に確執が生じた。武帝が病を得て甘泉に滞在中、江充は「上の病は巫蠱による」と讒言し、後宮から皇后・太子宮に至るまで蠱術の捜索を行い、太子宮から桐木人形を発見(実際には江充が仕込んだもの)したとされる。
  • 太子は身の潔白を証明できず江充を捕らえて斬った。これが戻太子の乱の発端となった。後に武帝は江充の欺瞞を知り、その三族を誅した。