漢書卷四十五 蒯伍江息夫傳第十五 蒯通

遊説の才

  • 蒯通は范陽の人。武帝と同諱のため史家は「徹」を「通」と書き改めた。楚漢初起の頃、武臣が趙地を平定していた際、蒯通は范陽令徐公を説き、「殺人・断足・黥面など多くの民を苦しめてきた令は危うい」と弔意を示しつつ、武信君(武臣)に降れば厚遇される道を示し、無血開城を実現させた。これにより燕・趙の三十余城が次々に降った。
  • 後、韓信が斉を攻めた際、酈食其が既に斉を説得し降伏させていたにもかかわらず、蒯通は韓信に「詔なく将軍の功を一豎儒に奪われてよいのか」と説き、進撃を促した。この結果、斉王は酈食其に欺かれたと考えて彼を烹殺し、韓信は斉を攻略して仮王となった。
  • 天下三分の計として、蒯通は韓信に対し、漢・楚のいずれにも与せず斉の地を拠点に独立することを説いた。「天より与えられたものを取らねば咎めを受け、時が来て行わねば災いを受ける」と説き、常山王と成安君の刎頸の交わりが後に破綻した故事、大夫種が越王句践に功を為しながら殺された故事を引いて、韓信の功が過大であるがゆえの危険を説いた。しかし韓信は漢の厚遇を理由に決断できなかった。
  • 韓信は後に淮陰侯として謀反の罪で誅される際、「蒯通の言に従わなかったことを悔いる」と嘆いた。高帝は蒯通を召し、烹殺しようとしたが、蒯通は「犬はおのおのその主でない者に吠える。秦が鹿(帝位)を失い天下がこれを争った際、私は韓信を知るのみで陛下を知らなかった」と弁明し、赦された。
  • のちに斉の相曹参に厚遇され、東郭先生・梁石君という隠士を「求婚の喩え」で推挙するなど、弁舌をふるい続けた。戦国時代の説士の権変を論じた『雋永』八十一首を著した。