漢書卷四十四 淮南衡山濟北王傳第十四 濟北王

系譜と終焉

  • 濟北貞王劉勃は景帝四年に済北に移封され、前の衡山王在位期間と合わせ十四年で薨じた。子の式王胡が継ぎ五十三年、その子の寛が継いで十二年で、父の后光姫や庶兄弟との姦通・祝詛の罪により自刎し、国は除かれて北安県となった。

史論

  • 賛にいう。『詩』に「戎狄はこれを膺(う)ち、荊舒はこれを懲らす」とある。淮南・衡山は骨肉の親でありながら千里の封土を与えられ、諸侯として天子を輔弼する務めを果たさず、専ら邪辟の計を懐いて謀反を企て、父子二代にわたって国を滅ぼした。これは王個人の資質だけでなく、荆楚の地の風俗が軽薄で臣下が悪習に染まりやすいことにもよる。荆楚の剽悍で乱を好む気風は古来記されているとおりである。