漢書卷四十三 酈陸朱劉叔孫傳第十三 婁敬

婁敬(劉敬)、斉の人。一介の戍卒から高帝に謁見して関中遷都を説き、容れられて劉姓を賜り建信侯に封じられた。匈奴との和親策や関中への豪族移住策も進言し、漢初の国是を定めた。

年表(2件)
  • 漢五年高帝に関中遷都を進言し、容れられて奉春君に封じられる
  • 漢七年匈奴の伏兵を見抜いて警告するが容れられず、白登の囲いの後に許されて建信侯に封じられる

遷都と和親策

  • 婁敬は斉の人。漢五年、隴西へ戍役に赴く途中、洛陽で高帝に謁見を願った。粗末な服のまま拝謁し、「陛下は周室と同じ隆盛を望むか」と問い、周が徳により天下を治めたのに対し、漢は多くの犠牲を払って天下を得たことを指摘した。
  • 秦の地は山河に囲まれた要害であり、関中に都すべきだと説いた。群臣は東方出身者が多く洛陽への遷都を主張したが、留侯(張良)の賛同を得て高帝は関中遷都を決めた。婁敬は劉姓を賜り奉春君に封じられた。
  • 漢七年、韓王信が匈奴と結んで反した際、婁敬は使者として匈奴に赴き、匈奴が老弱ばかりを見せて実力を隠していることを見抜き「奇兵を伏せている」と警告したが、高帝は聞かず出兵し、平城で冒頓単于に包囲される(白登の囲い)事態となった。高帝は自ら誤りを認め婁敬を許し、関内侯・建信侯に封じた。
  • その後、匈奴単于への和親策として、皇后所生の嫡長公主を単于に嫁がせ、生まれた子を太子とし将来単于とすることで外孫に漢への従属を促す案を進言した。呂后が長公主を惜しんだため、実際には宗室の女を公主と称して嫁がせた。
  • また、関中の実を強めるため、斉の田氏・楚の昭・屈・景氏など旧諸侯の名家・豪族十余万人を関中に移住させる策を進言し、実行された。