漢書卷四十三 酈陸朱劉叔孫傳第十三 朱建

辟陽侯との関係と最期

  • 朱建は楚の人。かつて淮南王黥布の相であったが罪を得て去り、後に布に復帰。布の謀反を諫めたが聞かれず、布は反乱した。漢が布を誅した後、朱建の諫言が知られ平原君の号を賜った。
  • 朱建は廉直で辟陽侯(審食其)のような不正な者と交わろうとしなかった。母の喪に際して困窮していたところ、陸賈が取り持ち辟陽侯から厚い香典を得て葬儀を行った。
  • 後に辟陽侯が讒言により獄に下されそうになった際、朱建は当初会おうとしなかったが、孝恵帝の寵臣閎籍孺を説得して助命に動かせ、辟陽侯は釈放された。
  • 呂太后没後、大臣が呂氏を誅する際、辟陽侯は関与が深いと疑われたが誅を免れた。これは陸賈・朱建の尽力によるものとされる。
  • 孝文帝の時、淮南厲王が呂氏に与したとして辟陽侯を殺害した事件に朱建が連座を疑われ、使者が来ると聞いて自ら首を刎ねた。文帝はこれを惜しみ、朱建の子を中大夫に取り立てたが、その子は匈奴に使いして無礼を罵り、匈奴の地で死んだ。