漢書卷四十三 酈陸朱劉叔孫傳第十三 陸賈

外交手腕と処世

  • 陸賈は楚の人。客として高祖に従い天下平定に功があり、弁舌で知られ側近として諸侯への使者を務めた。
  • 尉佗(趙佗)が南越で自立して王を称していたため、高祖は陸賈を遣わし印綬を授けさせた。尉佗は当初無礼な態度(魋結箕踞)で応対したが、陸賈は「足下の親族・墳墓は真定にあるのに天性に背き中国に敵対するのは危うい」「漢は天下を平定し、越など漢の一郡に過ぎない」と説いた。尉佗は大笑いして納得し、陸賈を厚遇し、南越王として漢に臣従することを誓った。
  • 帰国後、高帝は大いに喜び陸賈を太中大夫とした。陸賈がしばしば『詩』『書』を説くのを高帝が嫌うと、「馬上で天下を得ても馬上で治めることはできない、文武並用こそ長久の道」と説き返し、高帝に『新語』十二篇を著すよう命じられた。
  • 孝恵帝の時、呂太后が呂氏一族を王に立てようとする中、陸賈は争わず病と称して官を辞し、財を子らに分けて悠々自適に過ごした。
  • 呂太后の専権を憂う丞相陳平に対し、陸賈は「宰相と将軍が親しく結べば権力は分散せず社稷を守れる」と説き、陳平と太尉周勃を結び付ける計を授けた。この工作が呂氏誅滅と孝文帝擁立の一助となった。
  • 陸賈はその後、南越への使者として尉佗に黄屋・称制をやめさせる交渉も行い、天寿を全うした。