前漢演義第82回 孝婦の冤罪を晴らし于公が福を築き、淫らな霍氏一族が専横する (孝婦伸冤於公造福 淫嫗失德霍氏橫行)

許后毒殺事件の隠蔽

  • 許皇后急死を受け、宣帝は診察した医官たちの拿捕を命じる。淳于衍も捕らえられ、拷問にも屈せず自白しなかったが、事情を知る霍顕は慌てて霍光に打ち明ける。
  • 霍光は事の重大さに驚きつつも、露見すれば妻子ともに罪に問われることを恐れ、宣帝に「諸医を罰するのは酷だ」と取りなし、全員を釈放させる。許后は真相不明のまま杜南に葬られ、恭哀皇后と諡された。
  • 霍顕は淳于衍に厚く報い、娘・成君の入宮の機会を狙い、霍光を通じて宣帝に働きかけ、成君はやがて皇后に冊立される。上官太后は霍光の外孫女で霍后の姪にあたる関係から、霍后は特に丁重に遇された。

夏侯勝と孝婦の逸話

  • 丞相蔡義の死後、韋賢が丞相、魏相が御史大夫となる。地震などの災異を受け大赦・求賢の詔が出され、獄中の夏侯勝・黄霸も赦免される(夏侯勝は諫大夫、黄霸は揚州刺史)。
  • 夏侯勝は率直な人柄で宣帝に重用され、太子太傅にまで進み天寿を全うした(経学の師として名を残した逸話)。
  • 于定国が廷尉となり、公正な裁判で知られる。父の于公が若い頃、寡婦周青(孝婦)の冤罪死刑を諫めたが聞き入れられず、その後三年間東海郡が旱魃に見舞われたという故事、後任太守が周青の墓を祀ると雨が降ったという逸話、および于公が「わが子孫は栄達するはず」と里門を高く作らせた逸話が語られる。于定国は温情ある裁判で「於定国爲廷尉、民自以不冤」と評判を得た。

霍光の死とその後

  • 地節二年、霍光が病篤くなり、宣帝は自ら見舞う。霍光死後、宣帝と上官太后は自ら弔問し、天子並みの厚礼で葬られる。霍光の子・霍禹は博陵侯を嗣ぎ、甥の霍山は楽平侯となる。
  • 御史大夫魏相の進言により、霍禹の専権を警戒して張安世が大司馬車騎将軍に任じられ、宣帝は次第に親政を強める。地方官の治績を重んじ、膠東相王成の流民招致を賞するなど、循吏を奨励する方針を打ち出す。

太子冊立と霍氏の専横

  • 地節三年、許后所生の子・奭を皇太子に立て、外祖父許広漢を平恩侯に封じる。霍氏にも配慮し霍雲の子・雲を冠陽侯に封じるが、霍顕は不満を募らせる。
  • 霍顕は驕奢を極め、霍光の墓域を大改築し、老いた婢妾を幽閉同然に働かせ、自らは黄金の輦を侍女に引かせて遊興。夫の死後は家奴馮子都と密通し、子の霍禹・霍雲・霍山も放縦を極める。霍氏の女たちも太后・皇后の両宮に我が物顔で出入りするようになる。
  • こうした専横を憂えた御史大夫魏相は、許広漢の名を借りて上書し、霍氏の権勢を抑えるよう訴える。魏相はもと河南太守で治績に厳格だったため霍光に疑われ投獄された経緯があったが、無実で復帰し、この頃には御史大夫となっていた。
  • 宣帝は魏相の建言を容れ、上奏文の副封を尚書(当時は霍山が管轄)が握りつぶせない制度改正を行う。霍顕は禹・雲・山に危機感を促すが、当人たちは軽視する。
  • 霍禹が右将軍の印綬を取り上げられるなど霍氏の兵権が次第に削がれる中、霍顕は太子奭を毒殺しようと霍后に命じるが、宣帝が乳母に毒見をさせていたため果たせなかった。宣帝は霍后の不審な態度から、許后の急死も霍氏の陰謀ではと疑い始め、魏相と密かに対策を協議する。

評語

  • 孝婦の冤罪と三年の旱魃、於公の上訴による雨乞いの成就を天道の応報として肯定的に描く。
  • 一方で霍顕が許后を毒殺し娘を皇后に立てて富貴を貪ったことは天の忌むところであり、驕慢な者ほど天譴を招くとする。霍禹・霍山・霍雲の放埒ぶりを挙げ、兵権を削がれてもなお謝罪せず、大逆を謀ったことが自滅を早めたと結ぶ。