前漢演義第042回 第四十二回 (第042回)

趙王の跡と斗城の築造

  • 呂后は死んだ趙王如意の後を淮南王友に継がせ、後宮の妃嬪を粛清した。趙相・周昌は趙王を守れなかったことを恥じて病と称して朝に出ず、恵帝三年に没した。
  • 呂后は反乱を警戒し、二、三十万人(女性も動員)を使って長安城を拡張し、南北を斗の形にした「斗城」を築いた。

斉王肥、毒殺を免れる

  • 恵帝二年、斉王劉肥(高祖の庶長子)が入朝。恵帝が兄として上席に座らせたことに呂后が激怒し、毒酒で殺そうと謀ったが、恵帝が誤って毒酒を飲みそうになったのを見て呂后自ら酒を奪い、計画は露見した。
  • 危険を悟った斉王は、内史の献策で城陽郡を魯元公主へ献上し、さらに公主を「王太后」として母のように敬うと申し出た。呂后は上機嫌になり、盛大な宴を開いて斉王を送り出した。斉王は無事に帰国できた。
  • この年、蘭陵での双龍出現、隴西の地震、大旱など異変が相次いだ。

蕭何の死と曹参の登用

  • 蕭何が重病となり、恵帝の問いに「曹参こそ後任にふさわしい」と答えて没した。文終侯と諡され、子の禄が跡を継いだ。蕭何は倹約を旨とし、子孫に質素であれと遺言していた。
  • 斉の丞相であった曹参は、蕭何の死を聞き入京の準備を始め、果たして召されて丞相となった。
  • 曹参はかつて斉で治世に悩み、黄老の学に通じた蓋公を招いて「清静無為」の政治を学び、成果を上げていた。後任には「獄・市には手を出すな」と助言して都へ上った。

曹参の無為の政(酔いどれ丞相)

  • 曹参は丞相就任後も人事や法令を蕭何の旧例のまま変えず、部下の粗探しをする者を退けて実直な人材を登用し、日々酒宴に興じて政務に口を出さなかった。
  • 部下が政策を議論しようとしても酒を勧めて話をそらし、酔わせて終わらせた。属吏たちが後園で騒いで酒宴をしても咎めず、自らも一緒に飲み歌った。
  • 恵帝は曹参の様子を訝しみ、子の曹窟を通じて遠回しに諫めさせたが、曹参は「陛下は高祖に及ばず、私も蕭何に及ばない。ならば先人の定めた法をそのまま守るのが最善だ」と説き、恵帝も納得した。
  • 世間は「蕭何が法を定め、曹参がそれを守った」ことを称え、天下は安定した。(評者は蕭何の慎重さも曹参の無為も功罪半ばすると付言)

冒頓単于の無礼な国書

  • 匈奴の冒頓単于は、恵帝の柔弱と呂后の淫乱を聞きつけ、呂后を侮辱する国書を送りつけた。(国書:互いに独り身なので夫婦になろうという趣旨の無礼な誘い)
  • 激怒した呂后は使者を斬り出兵しようとしたが、樊噲の「十万の兵で匈奴を席巻する」との大言に対し、中郎将・季布が「かつて高祖でさえ平城で七日包囲された。夷狄の言葉に本気で怒る必要はない」と諫め、呂后は矛を収めた。
  • 大謁者・張釈に丁重な返書(老いを理由に婉曲に断る内容)を書かせ、車馬を贈った。冒頓は改めて和親を求め、呂后は宗室の女を「公主」として嫁がせた。
  • 恵帝は呂后と審食其の密通が広まっていることに気づき、恥じて処罰を考え始める。(詩:呂后の愚かな溺愛と審食其への処罰の遅れを嘆く内容)

評語

  • 呂后の偏愛・偏憎を批判。実子は溺愛し、他人の子は容赦なく害する性分だったとし、斉王肥への毒殺未遂とその後の豹変ぶりを例に挙げる。
  • 斉王が同父姉の魯元公主を母として仕えることを許し喜んだ呂后の倫理観の乱れを非難し、後に魯元公主の娘を恵帝の后とする伏線にも触れる。
  • 冒頓単于の侮辱に対し卑屈な返書を送った屈辱と、それを止めなかった群臣(季布を除く)の不甲斐なさを批判する。