前漢演義第041回 第四十一回 (第041回)

呂后と審食其の密通

  • 高祖崩御に際し、呂后は諸将を皆殺しにしようと考え、喪を伏せたまま腹心の審食其(辟陽侯)を密かに宮中へ呼んだ。
  • 審食其は高祖と同郷の出で、これといった才は無いが弁が立ち、高祖の留守中に家事を任される舎人となった。以来、呂后の意のままに動き、いつしか二人は密通するようになった。
  • 高祖の彭城敗戦後、呂后・太公が捕虜になった間も審食其は付き従い、項羽の陣中でも密会を続けた。漢が天下を取ると、呂后の口添えで審食其は辟陽侯に封じられた。
  • 高祖の目を盗んで二人の関係は続き、宮女たちも黙認していた。

発喪を遅らせた謀議

  • 高祖崩御後、呂后は「秘して喪を発せず、功臣を呼び集めて謀殺する」計画を審食其に相談。審食其は内心驚きつつも賛同した。
  • 呂后は兄の呂釈之らとも相談したが、決断できずにいるうちに三日が過ぎた。
  • 曲周侯酈商は宮中の秘事を伝え聞き、審食其に「今、功臣を誅すれば灌嬰・陳平・周勃ら諸将が兵を挙げて長安に迫るだろう」と強く警告した。
  • 審食其がこれを呂后に伝えると、呂后は計画を断念し、ようやく発喪を布告した。高祖崩御から実に四日以上が経っていた。
  • 高祖は「高皇帝」と諡され、長陵に葬られた。太子劉盈が践祚し(十七歳)、呂后は皇太后となった。後に恵帝と諡される。

燕王盧綰の亡命と樊噲の危機

  • 燕王盧綰は樊噲出撃の報に恵帝即位を知り、呂后の専権を恐れて匈奴へ投じ、東胡盧王とされた。
  • 樊噲は燕地に進駐していたが、突然陳平の使者に壇上で捕縛され檻車に入れられた。実は陳平が周勃に将を交代させ、樊噲を殺さず生かして連行する策だった。
  • 護送の途上、高祖崩御の報が届くと陳平は急ぎ先に長安へ入り、呂后に「樊噲は罪を問わず連行してきた」と報告して信任を得た。呂后の妹・呂嬃が讒言しても、呂后は事情を説明して退けた。
  • 陳平は郎中令として恵帝の後見役に就き、樊噲も釈放された。

戚夫人への迫害

  • 権力を握った呂后はかねて憎んでいた戚夫人を髪を剃り囚人服を着せ、永巷に幽閉して米搗きの労役を課した。
  • 戚夫人は苦しみながら歌を作り、我が子・趙王如意を思って泣いた。(歌:子は王、母は虜となり日々米を搗く身の悲哀を詠う)
  • 激怒した呂后は趙王如意を召還しようとしたが、趙相・周昌が高祖の遺命を盾に拒み続けた。呂后は周昌だけを都に呼び出して足止めし、その隙に趙王を呼び寄せることに成功した。

趙王の死と人彘

  • 趙王が入京すると、仁厚な恵帝は自ら出迎え、母の害意から守るため自分の宮で共に暮らした。
  • 恵帝元年十二月、恵帝が狩に出た隙に趙王は毒殺(あるいは絞殺)された。恵帝は嘆き悲しみ王礼で葬り、隠王と諡した。手を下した官奴だけを密かに処刑させ、母には罪を問えなかった。
  • その後、呂后は恵帝を「人彘」見物に誘い出した。手足を切られ、目をえぐられ、耳をふさがれ、声を奪われて厠に投げ込まれた無残な姿こそ戚夫人であった。
  • 恵帝は衝撃のあまり寝込み、心身を病んだ。呂后に「これは人のすることではない、私はもう天下を治められない」と伝えさせたが、呂后は悔い改めなかった。
  • (詩:人彘の惨劇を嘆き、呂后の残忍さを非難する内容)

評語

  • 古来の女禍は褒姒・妲己が知られるが、呂后の残忍さはそれを凌ぐと評す。
  • 審食其との密通、韓信・彭越の誅殺、功臣皆殺しの企て、趙王毒殺、戚夫人への凄惨な迫害など、呂后の悍婦ぶりは比類がないと断じる。
  • 恵帝は仁はあっても智に欠け、弟を守れず母を諫めることもできずに心を病んだことを、同情しつつも過失として批判する。