前漢演義第二十四回 楚の危難を逃れ戚姫に出会い、漢の興隆を知り王陵の母は死を選ぶ (脫楚厄幸遇戚姬 知漢興拚死陵母)

彭城の敗戦

  • 項羽は彭城陥落を聞いて激怒し、精鋭三万を率いて急行、夜明けに漢軍陣営を奇襲する。油断していた漢王・諸将は迎撃するも項羽自ら槍を振るって突撃し、漢軍は総崩れとなる。谷水・泗水、さらに睢水で多数の将兵が溺死し、犠牲は十数万人に及ぶ。

単騎逃走と戚姫との出会い

  • 漢王は数百騎に包囲されるが突然の暴風に助けられ脱出。旧知の楚将・丁公に見逃されてさらに逃れる。豊郷の実家は既に無人であった。夜、定陶出身の老人・戚公の家に一宿を乞い、その娘(戚女)を娶ることになり、契りを結ぶ(後の戚夫人、その子如意の伏線)。

子女との再会と季布の追撃

  • 逃走の途中、夏侯嬰の一行と合流し、混乱の中で見つけた自分の子女(後の恵帝ら)を車に乗せる。楚将・季布の追撃を受け、漢王は幾度も子供を車から突き落とすが、夏侯嬰がその都度拾い上げて守り抜き、辛くも逃げ切る。

太公・呂后の捕縛と王陵母の自刃

  • 下邑で呂澤の兵に迎えられて態勢を立て直す。父・太公と妻・呂后は避難中に楚軍に捕らえられ、審食其も同行して捕虜となる。項羽はこれを人質として漢王に降伏を迫るが、漢王は割り切れずただ策を練るにとどめる。
  • 王陵の母は項羽に捕らえられ、王陵を漢から離反させるための人質とされるが、母は密かに使者に「王陵には漢王に尽くすよう伝えよ」と言い残し自ら首を切って果てる。項羽は怒ってその遺骸を釜茹でにする。王陵は漢王のもとで復讐を誓う。

滎陽の防衛体制

  • 漢王は張良の献策で英布・彭越・韓信の三者に関東の地を分与する構想を固め、随何を英布説得に派遣する。滎陽に本営を置き、韓信率いる援軍が到着して楚軍を三度撃退、甬道を築いて敖倉の食糧を確保し要害を固める。漢王は太子盈(五歳)を立て、蕭何に関中の留守を託して再び滎陽へ向かう。

評語

  • 彭城入城後、漢王が老父の救出より酒色に溺れたことが敗戦の遠因とされ、睢水の敗北も自ら招いたものと評される。戚女との情事に耽り父母妻子や部下を顧みなかった点も批判されつつ、項羽の暴虐に対する天意として漢王への期待が語られる。王陵母の烈女ぶりは高く評価され、戚姫の逸話(後の人彘の禍の伏線)と対比される形で本回はまとめられている。