前漢演義第九回 屯長が道中で詭計を用い、大沢で将尉を殺し叛旗を掲げる (充屯長中途施詭計 殺將尉大澤揭叛旗)
阿房宮再開と重税
- 二世は阿房宮の造営を再開させ、宮中を守る武士五万人や各種の供物・食料を諸郡県に負担させた。
- 過酷な追加徴発により民は困窮し、各地で不満が高まった。
陳勝の若き志
- 陽城の貧しい農夫・陳勝(字は渉)は、雇われて耕作する身でありながら「王侯将相いずくんぞ種あらんや」に通じる大志を語り、仲間に一笑に付された。
大澤郷での足止め
- 二世元年七月、貧民が漁陽への戍役に徴発され、陳勝と呉広(陽夏の人)が屯長に任じられ、将尉二人が監督として同行した。
- 大澤郷で豪雨により足止めされ、期限に間に合わなければ秦法により斬罪となる状況に追い込まれた。
決起の謀議
- 陳勝は呉広に、逃げても留まっても死ぬなら大事を起こすべきだと説き、扶蘇(賢明で無実に死んだと噂される)と楚将項燕の名を借りて挙兵することを提案した。
- 占い師の助言(「鬼神に問え」)を受け、陳勝は民間の鬼神信仰を利用する策を思いつく。
魚腹の帛書と篝火狐鳴の計
- 陳勝は密かに「陳勝王」と書いた帛書を魚の腹に仕込ませ、兵士に買わせて発見・噂を広めさせた。
- さらに呉広に夜間、廟のあたりで狐の鳴き声を装わせ「大楚興、陳勝王」と唱えさせ、兵卒たちを動揺させた(種明かしとしてこれらが全て陳勝の作為だったことが説明される)。
将尉殺害と挙兵
- 酒に酔って統率を怠る将尉に対し、呉広はわざと挑発して怒りを買い、将尉を殺害。もう一人も陳勝が斬った。
- 陳勝は集めた兵士に「失期すれば斬、逃げても死、ならば大事を為すべし」と説き、扶蘇・項燕を主帥と偽称する檄文を出し、国号を「大楚」と称して将軍を名乗った(呉広は都尉)。
大澤郷から陳への進撃
- 大澤郷、蘄県を次々に制圧し、葛嬰らを派遣してさらに周辺県を攻略、陳県も陥落させた。
- 陳勝は三老・豪傑らに推されて王を称することとなり、その場面で大梁の二士(後の張耳・陳余)の来訪が告げられる。
評語
- 陳勝を暴秦打倒の発端を作った首謀者と位置づけつつ、魚腹の書や狐鳴の術は愚民を欺く小策に過ぎず、真の英傑を心服させるものではないと評する。
- 陳勝・呉広は富貴を求めた点で本質的には利に走る徒に過ぎないとしながらも、暴秦への民の怨みゆえに歴史がこの挙兵を大書したのであり、乱を起こす力はあっても秦に代わって天下を治める力はなかったと結ぶ。