前漢演義第八回 始皇を驪山に葬り巨墳とし、宗室を殺し冤罪を構える (葬始皇驪山成巨冢 戮宗室豻獄構奇冤)

扶蘇の自殺と蒙恬の抵抗

  • 上郡で偽詔を受けた扶蘇は、蒙恬の「使者一人の言だけでは信じがたい、確認すべき」との諫めにも関わらず、父命として剣で自刎した。
  • 蒙恬は自裁を拒み、兵符を副将王離に渡して自ら陽周の獄に入った。

胡亥の即位と蒙氏兄弟の粛清

  • 始皇の死が公表され、胡亥が二世皇帝として即位。趙高は郎中令に昇進し、旧怨のあった蒙毅・蒙恬兄弟の排除を画策した。
  • 蒙毅は無実を訴えたが趙高の意を受けた使者に斬られ、蒙恬も無実を訴えつつ最終的に服毒自殺した。

始皇陵の造営と殉葬の惨劇

  • 驪山に築かれた壮大な陵墓(水銀の川、機弩による盗掘防止装置など)の様子が語られる。
  • 埋葬に際し胡亥は「子のない後宮の女は殉葬とせよ」と命じ、多くの妃嬪が生きたまま陵内に閉じ込められて死んだ。
  • さらに機密漏洩を恐れ、工匠たちも外門を閉じられ生き埋めにされた。
  • (後に項羽により陵は暴かれ、さらに牧童の火によって焼失したという顛末が付記される)

二世による宗室粛清

  • 趙高は「蒙氏が扶蘇の仇討ちを企てる恐れがある」と二世に讒言し、蒙氏兄弟を死に追いやった経緯が改めて語られる。
  • 甥の子嬰が蒙氏誅殺に諫言するも聞き入れられなかった。
  • 二世は改元し始皇廟を祖廟と定め、碣石・会稽など各地を巡幸して先帝の刻石に追記させた。

公子・公主の大量粛清

  • 趙高は「大臣たちが陛下に心服していない」と二世を煽り、宗室・重臣を一掃するよう仕向けた。
  • 公子十二人・公主十人が謀反の濡れ衣で捕らえられ、拷問による強制自白の末に処刑された(公主も含め惨死)。
  • 公子将閭ら兄弟三人も無実を訴えつつ自殺に追い込まれた。
  • 公子高は一族の連座を避けるため、自ら殉死を願い出る上奏文を提出し、二世に許されて服薬自殺、始皇陵側に葬られた(始皇の子女三、四十人がほぼ皆殺しにされた)。

評語

  • 始皇の悪は桀紂を凌ぐとし、殉葬は胡亥の罪だが、機弩を仕掛けて工匠を生き埋めにする発想自体は始皇に発するものだと指摘する。
  • 一身・後嗣のために尽くした始皇の企ても、項羽によって暴かれ潰えたことを皮肉り、子女の粛清が少子胡亥の手で行われた顛末をもって、狡猾な謀略の無益さを結論づける。