楊家將演義第十七回 太宗が北番征伐を議し、柴太郡が楊業を保挙する (宋太宗議征北番 柴太郡奏保楊業)
延徳の出家と延朗の抑留
包囲を脱した楊延徳は、かつて五台山の智聡禅師から授かった小箱を思い出して開けると剃刀と度牒が入っていた。意を悟った延徳は武具を樹に掛け、髪を切って五台山に身を隠し僧となった。
番軍は宋帝を取り逃がしたことを悔やみつつも、楊家の三人を討ち一人を捕らえたと蕭太后に報告し、蕭太后は勝利を喜んだ。捕らえられた延朗は死を恐れず気概ある態度を示す。その姿に感心した蕭太后は、娘の瓊娥公主を娶らせて延朗を降伏させようと図る。延朗は内心、辱めを忍んで敵地に留まり後日の報復を期す腹づもりで承諾し、楊姓を隠して「木易」と名乗り、代州の教練使であったと偽った。蕭太后は喜び、木易と公主の婚儀を執り行わせた。
楊業、雄州防御使に任ぜられる
帰京した太宗は楊業をねぎらい、渊平らの安否を尋ねた。楊業は長子の性分から捕らえられたであろうと答える。折しも「渊平は番将天庆王を射殺したが全軍壊滅した」との知らせが届き、太宗は嘆き涙する。楊業は「命を賭して陛下に報いる誓いを立てていた、子らの死は定めだ」と応じた。
翌日、潘仁美の進言で楊業は雄州防御使に任じられ、召しがあるまで軽々に離れぬよう命じられた。楊業は無佞府の令婆・八娘・九妹に留守を託し、六郎・七郎とともに雄州へ赴いた。
契丹の南侵と楊業召還
耶律休哥らは宋軍の邠陽での敗走を知り、蕭太后に中原進出を進言。蕭太后は右相蕭撻懶に命じ、金明池・飲馬井・中原の三か所の割譲を要求させ、応じなければ開戦の名分とする策を取らせた。撻懶は韓延寿・耶律斜軫とともに二万の兵で瓜州から南下し胡燕原に布陣した。
太宗は親征を望んだが、寇準は「潘仁美を派遣すれば足りる」と諫め、潘仁美が招討使に任じられた。仁美は帰宅後不満げな様子を見せる。息子の潘章の勧めで、先鋒に雄州の楊業父子を推挙することとし、太宗の勅により楊業は召還され行営都統先鋒に任じられた。
令婆・柴太郡の奏請
帰府した楊業から事情を聞いた令婆は、潘仁美がかつて河東で辱められた恨みから楊業父子に害意を抱いていることを案じ、朝廷に保証人を立てさせるべきだと太郡(柴夫人)とともに参内を決める。太宗は先帝より賜った特別な待遇で二人を迎え、太郡が「潘仁美と楊業は不仲、名望ある者を保官に立てるべき」と奏上した。太宗が群臣に諮ると、八王が行営都総管の呼延賛を推挙し、太宗はこれを採用した。楊業はこの知らせを喜び、雄州に戻って出征の準備を整えた。