東周列國志荊軻が地図を献じ秦廷で騒ぎ、王翦が兵法を論じ李信に代わる(第百零七回 獻地圖荊軻鬧秦庭 論兵法王翦代李信)

樊於期の死

  • 秦の追討が迫る中、太子丹は焦りを募らせるが、荊軻は「秦王に近づく信用の証が要る」として、樊於期の首と督亢の地図を献上する策を語る。太子丹は樊於期を殺すに忍びないとして拒む。
  • 荊軻は独自に樊於期を訪ね、秦への恨みを確かめた上で、自分の首を献じることで太子丹の恨みも自分の恨みも同時に晴らせると説く。樊於期は納得して自ら剣で喉を突いて果てる。

易水の別れ

  • 太子丹は樊於期の遺骸を厚く葬り、首を木箱に収める。徐夫人の毒を塗った匕首を用意し、秦舞陽を副使として同行させることにする。荊軻は本来別の同行者(蓋聶)を待ちたかったが、太子丹の急ぎように押されて出発を決める。
  • 易水のほとりで太子丹と賓客が白衣で見送る宴を開く。高漸離の築の音に合わせ荊軻が「風蕭蕭兮易水寒、壮士一去兮不復還」と歌い、一同涙する。荊軻は車に乗り、振り返らずに秦へ向かう。

秦王政暗殺未遂

  • 咸陽に着いた荊軻は秦王の寵臣蒙嘉に賄賂を贈り取り次がせ、燕王が臣従を願い出て樊於期の首と督亢の地図を献じる旨を秦王に伝えさせる。秦王は大喜びし、九賓の礼で謁見を許す。
  • 秦舞陽が階段の手前で顔色を失い怪しまれるが、荊軻が機転で取り繕い、正使のみ昇殿を許される。
  • 秦王が地図を広げた瞬間、荊軻は隠していた匕首で秦王の胸を刺そうとするが、袖が破れて外れ、秦王は逃げて柱を回る。群臣は素手で荊軻に組みつくのみで、侍医夏無且が薬囊を投げつける。内侍趙高の助言で秦王は剣を背に回して抜き、荊軻の左股を斬る。荊軻は倒れながら匕首を投げるが外れ、秦王にさらに斬られて絶命する。秦舞陽も殿下で討たれる。
  • 秦王は荊軻・秦舞陽の屍と樊於期の首を市中で焚き、燕からの従者を皆梟首する。功労者の夏無且・趙高らに恩賞を与え、事の発端となった蒙嘉は凌遅処死とされる。秦王はこの夜、寵姫の胡姫(後に胡亥を生む)の琴で心を慰める。

燕・魏の滅亡

  • 秦王は激怒し王賁を将として燕を攻めさせる。燕太子丹は易水で敗れ、燕王喜は薊城を捨てて遼東へ逃れる。太子丹はしんがりを務めて護送する。
  • 秦は李信に燕王父子を追わせる。代王嘉の勧めで燕王喜は太子丹を殺して秦に詫び、その首を送るが、李信軍は五月の大雪で退くよう秦王に求め、いったん撤兵する。
  • 尉繚の献策により秦は先に魏を攻めることとし、王賁が大梁を包囲、黄河と汴河の水を引いて堤を決壊させ大梁城を水攻めで陥落させる。魏王仮は降伏後に病死し、魏は三川郡となる。

李信の楚攻略失敗と王翦の起用

  • 秦王政二十二年、秦は楚攻めを図る。李信は「二十万で足りる」と豪語し、老将王翦は「六十万必要」と説くが、秦王は李信を大将に任じる。
  • 楚では春申君の死後、幽王・哀王・負芻と王位が移り、負芻の代に秦の侵攻を受ける。李信は緒戦で連勝するが、楚将項燕の七伏の計にかかり大敗し、蒙武も退く。
  • 秦王は自ら頻陽の王翦を訪ね、改めて六十万の兵を求める。王翦は「今の戦は動員規模が古と異なり、楚は広大でそれ以上の兵力を集められる」と説き、秦王はこれを受け入れて六十万を与える。出陣に際し王翦は美田宅を求め続け、蒙武に「秦王の疑いを解くため」と明かす。

評語

  • 陶淵明(陶靖節)の詩は、易水の別れの壮烈さと荊軻の忠義・死を覚悟した心境を詠う。
  • 髯翁の詩は、荊軻の剣術が精妙でなかったために大事を成せず、樊於期らの死も無駄になったことを惜しむ。