東周列國志王敖の反間で李牧が殺され、田光が首を刎ね荊軻を薦める(第百零六回 王敖反間殺李牧 田光刎頸薦荊軻)
燕太子丹の脱出
- 趙王遷五年、代で地震が起き、邯鄲は大旱となる。「秦人笑、趙人号」の童謡が流行り、翌年地に白毛が生えるが、郭開はこれを趙王に知らせなかった。
- 秦は王翦・楊端和の二路軍でさらに趙を攻め、内史騰の軍を上党に駐屯させて後詰とする。
- 秦に人質となっていた燕太子丹は、秦の趙攻めを見て禍が燕に及ぶことを恐れ、燕王に戦守の備えを密書で促す。燕王が仮病を使い太子の帰国を願うが、秦王政は「烏頭が白くなり馬に角が生えたら帰す」と拒む。太子丹が天を仰いで慟哭すると烏頭が白くなったとの伝説があるが、秦王はなお許さず、太子丹は変装して函谷関を脱出し燕へ逃げ帰った。
李牧の死
- 趙の名将李牧は灰泉山に布陣し秦軍を防ぐ。秦は王敖を使って離間策を仕掛け、李牧が秦と内通しているとの偽情報を郭開を通じて趙王に信じ込ませる。
- 趙王は趙蔥に兵符を持たせ、相国に取り立てると偽って李牧の兵権を奪おうとする。李牧は「戦の最中に君命でも従えない」と拒み、事情を知った司馬尚の忠告で夜に印綬を懸けて出奔しようとするが、趙蔥に捕らえられ斬られる。
- 李牧の死後、代の兵は憤って離散し、趙蔥がその軍を引き継ぐが統率できなかった。
趙の滅亡
- 秦軍は李牧の死を喜び、王翦・楊端和が進撃。趙蔥は顔聚の諫めを聞かず太原・常山の救援に向かい、王翦の伏兵に大敗して戦死。秦は狼孟・常山を攻略し、邯鄲を包囲する。
- 同時期、内史騰が韓へ進軍し韓王安は降伏、韓は穎川郡となる(韓は八十年侯、九十四年王として存続し滅亡)。
- 邯鄲包囲戦で、郭開は「全城帰順」を勧めるが、公子嘉と顔聚は徹底抗戦を主張し対立。郭開は密かに秦に内通の書を送り、秦王政自ら邯鄲に親征する。
- 郭開の勧めで趙王遷は西門から出て降伏。顔聚と公子嘉は北門から脱出して代に逃れ、公子嘉を代王に立てて再起を図る。
- 秦王政は邯鄲に入城し趙地を鉅鹿郡とする。趙王遷は房陵に幽閉され、故郷を思う歌を作って病死した(諡は幽繆王)。郭開は上卿に封じられるが、家財を取りに戻った途中で盗賊(李牧の門客との噂)に殺される。
燕太子丹と田光・荊軻
- 燕に帰った太子丹は復讐を誓い、賓客を集める。夏扶・宋意・秦舞陽らを厚遇し、秦から出奔した樊於期も匿う。
- 太傅鞠武は、樊於期をこのまま留めれば秦を刺激すると諫め、匈奴へ逃す策や合従策を勧めるが、太子丹は樊於期を見捨てられないとして退ける。鞠武は智勇兼備の田光を推薦する。
- 太子丹は田光を丁重に招き、秦を討つ計を問う。田光は自らの老いを理由に固辞し、代わって荊軻(本姓は慶氏、剣術に優れ喜怒を表に出さない人物)を推薦する。
- 田光は荊軻を訪ね事情を伝え、「太子に秘密を漏らすなと疑われたことを恥じる」として、太子への言伝を託した後、自ら剣で首を刎ねて死ぬ。
- 荊軻は太子丹のもとへ赴き、事情を語る。太子丹は田光の死を悼みつつ、秦の脅威と、六国連合が望めない現状を説き、秦王を劫かして侵地を返させる(曹沫の故事に倣う)か、それが叶わねば刺殺する計を荊軻に託す。荊軻は熟慮の末に引き受ける。
- 太子丹は荊軻を上卿として厚遇し、望みのままに車馬・美女を与える。ある日、荊軻が馬肝の味を評した言葉に応じて千里馬を殺して供したり、宴席で美人の手の美しさを称えた荊軻に、太子丹がその美人の手を切って贈るなど、太子丹の異常なまでの厚遇ぶりが語られる。荊軻は「死をもって報いる」と誓う。
評語
- 史臣の詩は、代の守りの名将李牧が郭開の讒言により讒殺され、国の柱石を自ら壊したことを痛惜する。
- 韓の滅亡について、史臣の賛は韓氏の由来(万から安まで)を辿り、韓非を秦に使わしても滅亡を救えなかったことを嘆く。
- 趙王遷の死をめぐる詩は、呉を亡ぼした宰嚭になぞらえ、佞臣(郭開)を遠ざけていれば長く存続できたはずだと惜しむ。