東周列國志甘羅が幼くして高位を得、嫪毐が偽りの宦官として秦宮を乱す(第百零四回 甘羅童年取高位 嫪毐偽腐亂秦宮)
長安君成嶠の敗北
- 王翦は主力を伏せつつ長子・壺関の二城を落とし、屯留の樊於期を孤立させる。秦王政の命で「樊於期を生け捕り自ら手を下したい」との強い恨みが伝えられる。
- 楊端和は屯留城内で成嶠に接近し、王翦の書状(樊於期を討てば成嶠を助命するとの内容)を示して降伏を促す。成嶠は心が揺れるが決断できず、樊於期は最後の出撃を敢行するも敗れて城に戻れず、楊端和が降伏の旗を掲げて城を明け渡す。
- 樊於期は単身血路を開いて燕へ逃れ、成嶠は幽閉の末に赦しを得られず自ら命を絶つ。秦王政は成嶠の首を晒し、従った軍吏を誅し、城の住民を臨洮へ強制移住させる。
- (詩:成嶠の乱の顛末を無謀な企てとして詠う内容)
秦、燕と結んで趙を挟む
- 成長した秦王政は蒙驁の仇を討つべく趙攻めを議し、丞相蔡澤を燕に遣わして「趙と手を切り秦と結べ」と説かせる。燕王喜は太子丹を人質に出し、燕相として秦の大臣を求める。
甘羅、十二歳で丞相待遇を得る
- 呂不韋は張唐を燕相に推すが、張唐は趙を通る道を恐れて固辞。呂不韋の食客で甘茂の孫・甘羅(十二歳)が「武安君の例を引いて説けば張唐は従う」と進言し、見事に張唐を説得する。
- 甘羅はさらに自ら趙へ赴き、趙悼襄王に「燕秦が結べば趙が危うい」と説いて五城の割譲を得、代わりに張唐の燕行を止めさせる。趙はその後上谷の地を燕から奪い、一部を秦に譲る。甘羅は上卿に封じられるが、まもなく夢で天に召されたように急死する。
- (詩二首:甘羅の早熟な才を惜しみ、大器晩成の理と対比する内容)
- 人質の燕太子丹は秦趙の関係悪化に不安を抱くが、帰国できぬまま秦に留め置かれる。
嫪毐、偽って宦官となり太后に近侍
- 呂不韋は太后(旧趙姫)との関係が秦王の成長により危険と悟り、身代わりとして市井の嫪毐を見出す。偽って罪を犯させ腐刑(宦官化)を装わせ、実際は去勢せずに宮中へ送り込む。太后は嫪毐を寵愛し、長信侯に封じて実権を与える。
- 太后は嫪毐との間に二子をもうけ、事が露見せぬよう「祟りを避ける」と称して雍の離宮に移り住む。嫪毐は権勢を強め、賓客・家僮を多数抱えるまでになる。
嫪毐の乱と処刑
- 秦王政九年、彗星の異変が続く中、王が雍で加冠の儀を行った際、酔った嫪毐が中大夫顏洩と諍いを起こし「自分は今の王の仮父である」と口を滑らせる。顏洩はこれを秦王に密告。
- 事が露見したと悟った嫪毐は太后の印璽を偽って宮中の兵を集め、祈年宮を襲おうとするが、秦王の呼びかけで多くが離反し鎮圧される。嫪毐は捕らえられて車裂の刑に処され、三族は誅殺、太后との間の二子も殺され、太后自身も雍の棫陽宮に幽閉される。
- 呂不韋も嫪毐の後見人として疑われるが、群臣の弁護により誅殺は免れ、丞相の位のみ剥奪される。
太后幽閉への諫言と粛清
- その年の異常な寒波を「太后を幽閉した報い」とみる声が上がり、大夫陳忠が太后を咸陽に迎え孝道を尽くすよう諫めるが、秦王政は激怒して陳忠を惨殺し、諫言そのものを禁じる高札を掲げる。それでもなお諫める臣が相次ぐ。