東周列國志秦王が周を滅ぼし九鼎を遷し、廉頗が燕を破り二将を斬る(第百零一回 秦王滅周遷九鼎 廉頗敗燕斬二將)
范雎、罪を免れる
- 鄭安平の降魏で連座するはずの丞相范雎を、秦王は自ら庇い「言及禁止」の令まで出して守る。范雎は恩に報いようと秦王に周攻略・称帝を勧め、張唐に韓の陽城を攻めさせる。
楚考烈王、合従を企てる
- 楚考烈王は信陵君の勝利を聞き、春申君黄歇の勧めで諸国に呼びかけ、周王を奉じて秦を討つ合従を計画。
周赧王の「避債台」
- 弱体化した周赧王は西周公に命じて僅かな兵を集めるが軍資が足りず、富民から借財して出兵。燕・楚の援軍も観望するうちに諸国はまとまらず撤兵。赧王は借財を返せず高台に隠れ、後にこれを「避債台」と呼ぶ。
西周滅亡と九鼎の遷座
- 秦は嬴樛・張唐を差し向けて西周を攻略。赧王は策尽きて秦に降伏し、三十六城・三万戸を献上。赧王は梁城に移されて間もなく病死し、秦は周を廃し、雒陽の宗廟を壊して九鼎を咸陽へ運ぼうとする。
- 泗水で一つの鼎が舟から水中に消え、大蛇が現れる怪異が起こり、嬴樛は夢に周武王の叱責を受けて背に腫物を患い、まもなく死去。秦王は八鼎と祭器を秦の廟に納め、諸国に朝貢を求める(東周のみ命脈を保つ)。
蔡澤、范雎に引退を説く
- 燕出身の弁士蔡澤は諸国を遊説した末に秦へ入り、范雎に対し「功成り身退くは天の理」と説いて丞相の座を譲るよう迫る。范雎は説得され病と称して相印を返上し、蔡澤が丞相となる。
燕、趙を攻めて大敗する
- 燕王喜は相国栗腹の讒言を信じ、廉頗を侮って趙を攻めるが、大夫将渠の諫めを聞かず出兵。趙は廉頗・李牧を将として迎撃し、栗腹を生け捕り慶秦を討ち取る。燕将楽乗・楽閒は趙に降る。
- 燕は将渠を相国として和議を求め、廉頗はこれに応じて栗腹の首と慶秦の遺骸を返し帰国。趙は楽乗・楽閒を厚遇し、李牧を代郡守とする。燕は将渠が退いた後、劇辛を相国とする。
秦の代替わりと呂不韋の相国就任
- 秦昭襄王没し、安国君(孝文王)が立つが即位三日で急死(呂不韋の毒殺疑惑あり)。子楚が即位して荘襄王となり、華陽夫人を太后、趙姫を王后、政を太子とする。呂不韋は丞相・文信侯となり、賓客三千を養う。
東周の滅亡と周王朝の終焉
- 東周君が合従を画策すると、呂不韋は「東周の血統を断つべし」と進言し、自ら兵を率いて東周を滅ぼす。武王以来三十七代・八百七十余年続いた周の祭祀はここに絶える。
- (詩:周の歴代王統と国祚の長さを詠う歌訣)
秦、韓・趙・魏を攻める
- 秦は蒙驁に韓・趙を攻めさせ、成皋・滎陽・榆次など多くの城を得て三川郡・太原郡を置く。魏も高都で敗れ、如姫の勧めで魏王は趙にいる信陵君を呼び戻して合従を図ろうとする。
信陵君、帰還を拒む
- 顏恩が魏王の使者として趙を訪れるが、信陵君は「十年前に見捨てられた」と恨みを抱き、門下に「魏の使者に取り次ぐ者は死罪」と布告して面会を拒む。顏恩は成す術なく足止めされる。