東周列國志第九十九回 武安君白起が冤罪を含み杜郵で死し、呂不韋が策略で異人を帰国させる (武安君含寃死杜郵 呂不韋巧計歸異人)
蘇代の説得と邯鄲の一時停戦
- 長平の惨事を知った趙は震撼した。秦がさらに邯鄲を包囲しようとする中、平原君の食客蘇代が単身秦に赴き、丞相范雎に「武安君(白起)が邯鄲を落とせば功はすべて白起のものとなり、あなたの地位は脅かされる」と説いた。范雎はこれに動かされ、韓・趙からの割譲を条件に秦王へ撤兵を進言し、いったん兵を引かせた。
白起と范雎の確執、白起の死
- 撤兵を悔いた秦王は再び邯鄲攻略を命じたが、白起は「時機を逸した、廉頗は趙括とは違う」と反対し出陣を拒んだ。秦王は王陵、続いて王齕を将としたが攻略できず、業を煮やして白起に強要するも応じず、范雎の讒言もあって白起は爵位を剥奪され追放された。
- 秦王は使者を送って自刃を命じ、白起は「長平で降兵四十万を欺いて生き埋めにした報い」と自らの死を受け入れて自刎した。後世、白起の名を刻んだ牛が雷に打たれて死んだという話が伝わり、殺生の報いとして語り継がれた。
毛遂自薦と合従の再結成
- 秦軍がなおも邯鄲を攻めるため、平原君は楚へ援軍を求めに赴くことになり、食客二十人を選ぶが一人足りず、無名の食客毛遂が「錐は嚢の中にあれば自ずと穎が出る、まだ嚢に入れてもらえなかっただけだ」と自薦して同行した。
- 楚王との交渉が長引き決着しない中、毛遂は剣を按じて進み出て、楚の過去の屈辱を突きつけて合従を説き伏せ、楚王はついに承諾。歃血の儀でも毛遂が主導し、平原君は「毛先生の三寸の舌は百万の軍に勝る」と称賛した。楚は春申君を将として援軍を送った。
秦の公子異人と呂不韋の出会い
- 秦の公子異人(安国君の子)は趙に人質として置かれ、冷遇されていた。陽翟の富商呂不韋は異人を見て「奇貨居くべし」と直感し、公孫乾に取り入って異人に近づいた。
- 呂不韋は異人に「秦に戻り華陽夫人の養子となって世子の地位を狙うべき」と説き、自ら千金を投じて工作することを申し出た。異人はこれを喜んで受け入れた。
華陽夫人工作と嫡子の約束
- 呂不韋は咸陽に赴き、華陽夫人の姉を通じて異人の「孝心」を演出し、贈り物と巧みな言葉で夫人の心を動かした。さらに「色衰えれば愛も衰える、今のうちに賢い子を養子にすべき」と説き、夫人は安国君に異人を嫡子とするよう泣いて訴えた。安国君は玉符を刻んで誓約とした。
楊泉君工作と異人の帰国準備
- 昭襄王の外戚楊泉君にも取り入り、太子側との関係を築くよう説得。王后も動いて秦王に働きかけ、異人を秦に迎える機運が整えられた。太子・夫人・王后から多額の資金が呂不韋に託され、異人の太傅に任じられた。
趙姫の献上と始皇帝の誕生
- 呂不韋は身重の愛妾趙姫を酒宴で異人に見せ、所望されると渋々譲る芝居を打った。趙姫は密かに呂不韋の子を身ごもったまま異人に嫁ぎ、十二カ月目にして一子を産んだ(趙政、のちの始皇帝)。異常に長い懐妊期間や奇異な容貌が、後の「応運の主」の徴として語られる。
異人、秦へ脱出
- 秦軍による邯鄲包囲が続く中、呂不韋は財貨を用いて南門の守将と公孫乾を買収し、異人を趙姫母子と分けて密かに脱出させた。秦の陣営にたどり着いた異人は昭襄王に迎えられ、呂不韋父子とともに咸陽へ向かった。