東周列國志第九十八回 秦王が平原君を質とし魏斉を求め、白起が長平で趙卒を坑にする (質平原秦王索魏齊 敗長平白起坑趙卒)

秦、魏斉を求めて趙を攻める

  • 須賈の報告を受けた魏王は范雎の家族を厚く咸陽へ送ったが、魏斉は相印を捨てて趙の平原君のもとへ逃げ込んだ。秦王は范雎の恨みを晴らすべく自ら趙を攻め三城を奪った。
  • 趙では恵文王が没し孝成王が即位したばかりで動揺したが、太后の計らいで斉に長安君を人質として送り、田単の援軍を得て秦軍を退けた。

平原君、秦に抑留される

  • 秦王は魏斉引き渡しを条件に和平を持ちかけ、平原君を招いて咸陽で歓待した。しかし平原君が友人である魏斉を売り渡すことを拒むと、秦王は態度を一変させ、平原君を人質同然に抑留した。
  • 趙は平原君の家を包囲して魏斉を捜索。魏斉は虞卿を頼って脱出し、二人で大梁の信陵君を頼るが、信陵君は当初迷いを見せた。侯生に諭されて信陵君が迎えに出たときにはすでに遅く、絶望した魏斉は自刎して果てた。信陵君はその首を趙に送り、平原君はようやく帰国を許された。

范雎、恩讐に報いる

  • 魏斉の首級を得た范雎は漆で溺器に仕立て、かつての屈辱への報復とした。范雎はまた自らを助けた鄭安平・王稽の恩に報いるよう秦王に願い出て、二人はそれぞれ将軍・河東守に取り立てられた。
  • 范雎の勧めで秦は斉・楚とも和睦を図り、君王后の知略を試す玉環の逸話(金鎚で環を断ち切って見せた)を通じ、斉との関係も安定させた。

楚の太子、秦を脱出

  • 人質として秦に長く留め置かれていた楚の太子熊完は、父王の病篤しとの報を受け、太傅黄歇の策により御者に扮して密かに秦を脱出した。黄歇は秦に残って発覚を遅らせ、後に秦王に自首したが、范雎の進言により助命され楚へ帰された。
  • 熊完は考烈王として即位し、黄歇は春申君に封じられて呉の地に都邑を整え、勢力を伸ばした。

上党の帰属と長平の前哨戦

  • 秦が韓の野王を攻略すると、上党太守馮亭は秦への降伏を避けて趙に帰属することを選んだ。趙の平原君は「労せずして十七城を得る利」を説いて受諾を進言し、趙王もこれに従った。馮亭は忠義から爵位を固辞しつつ職に留まった。
  • 秦の王齕が上党を攻め、馮亭は趙に合流。趙は廉頗を将として長平に布陣し、持久戦の構えをとった。廉頗は井戸を深く掘るなど周到に備え、秦の水源遮断策も無効化して四カ月にわたり秦軍を足止めした。

趙括の登用と長平の大敗

  • 決着がつかないことに業を煮やした秦は、范雎の反間の計により「秦が恐れるのは趙括だけ」との流言を趙に流した。趙王はこれを信じ、廉頗を退けて趙括を将に立てた。趙括の母は父の遺言を根拠に強く反対したが、聞き入れられなかった。
  • 秦は密かに名将白起を将に据え、これを秘匿した。趙括は防御を放棄して積極攻勢に転じ、誘い出されて包囲され、糧道を断たれた。四十六日にわたる包囲戦で兵は飢え、趙括は突囲を試みるも戦死した。
  • 降伏した趙兵四十万は、白起の謀略により一夜にして皆殺しにされた(長平の坑殺)。年少者二百四十人のみが趙に帰され、秦の威を伝える生き証人とされた。

評語

  • 髯翁の詩は魏斉の非業の死を悼み、虞卿が相印を捨てて義を貫いた高潔さを称えた。史臣の詩は長平で積み上げられた白骨の山を悼み、戦の非情さを嘆いた。