東周列國志第九十七回 范雎が死を装い秦国へ逃れ、張禄と偽り魏使を廷で辱める (死范雎計逃秦國 假張祿廷辱魏使)
范雎、須賈に随行して斉に赴く
- 魏の貧士范雎(字は叔)は中大夫須賈の舎人となった。斉への使者に同行した際、斉襄王の詰問に対し須賈が答えられずにいると、范雎が代わって弁じ、斉王を感服させた。斉王は范雎を客卿として招こうとしたが、范雎は使者としての信義を重んじて固辞し、牛酒のみを受け取った。
魏齊の暴虐
- 須賈はこれを范雎が斉に内通した証拠と疑い、魏の相国魏斉に讒言した。魏斉は激怒して范雎を捕らえ、拷問の末に肋骨まで折れるほど打ちすえ、絶命したものとして厠に打ち捨てさせた。
- 范雎は一命を取り留め、看守を買収して密かに脱出。友人の鄭安平に匿われ、名を張禄と変えて身を隠した。
秦への逃亡
- 秦の使者王稽が魏に赴いた際、鄭安平の紹介で夜間に「張禄」と対面し、その才を見抜いて秦への同行を約束した。道中、穰侯魏冄の一行と行き会い、范雎は疑い深い穰侯の目を避けて車中に隠れるなど慎重に振る舞い、無事咸陽へ入った。
秦王への進言と遠交近攻策
- 秦王(昭襄王)に召し出された范雎は、太后・穰侯ら「四貴」が国政を私していることを暗に匂わせ、当初は言葉を選んで様子を見た。信頼を得たのちに正式に召され、「遠交近攻」の策を説いた。斉ではなく近隣の韓・魏を攻めるべきだと進言し、秦王はこれを容れて客卿に任じた。
- さらに范雎は太后・穰侯・華陽君・涇陽君・高陵君らが専権をふるい、王の権威が形ばかりになっている危険を説いた。秦王は決断して穰侯らを退け、太后を後宮に留め、政務から外した。范雎は丞相となり応侯に封じられた。
須賈への報復
- 魏の安釐王は秦の張禄(范雎)に取り入ろうと須賈を使者に立てた。范雎はみすぼらしい姿で須賈を訪ね、憐れんだ須賈は綈袍を与えるなど旧情を見せた。
- 范雎は正体を隠したまま須賈を丞相府に案内し、自ら車を御して送り届けた後、丞相として須賈の前に姿を現した。須賈は仰天して罪を請い、范雎は過去の讒言・虐待の罪を数え上げつつも、綈袍の情けに免じて命は助けた。ただし料豆を馬のように食べさせるなど屈辱を与え、魏斉の首を差し出すよう厳命して帰した。
評語
- 潜淵居士の詩は、張儀や范雎がいずれも冤罪で辱めを受けた故事を引き、疑心に基づく処罰の理不尽さを嘆いた。髯翁の詩は、范雎の智謀が抜きん出ていたことを称え、信陵君ほどの人物すら見逃した賢才が秦に流れたことを惜しんだ。