東周列國志第四十九回 公子鮑が厚施で国心を買い、斉懿公が竹池で変事に遭う (公子鮑厚施買國  齊懿公竹池遇變)

士会の帰還と秦晋和解

士会と壽餘が黄河を渡ると、趙盾の子・趙朔が迎えに来ており、晋軍に守られて絳へ帰る。秦康公は追撃を諦めて兵を退く。士会は靈公に赦され六卿に列し、秦康公も約束どおり士会の妻子を送り返す。以後、秦晋は数十年戦いを絶つ。

晋の伯業回復の動きと諸侯の会

周は匡王が立ち、楚は穆王が没して莊王が継ぐ。趙盾はこの機に諸侯を新城に集め、宋・魯・陳・衛・鄭・許が参集して晋に再び服す。蔡だけは従わず、郤缺の遠征で降伏させる。

齊の政変(商人の簒奪)

斉の昭公が没する前に、庶弟の公子商人は私財をばらまいて人望を集め、世子舍を暗殺して即位(懿公)。兄の公子元には形だけの敬意を示して黙らせる。昭公の母・昭姬を幽閉し、魯の訴えで来た周の使者・単伯まで拘禁する暴挙に出るが、賄賂と釈放で事を収める。

宋の内乱と公子鮑の即位

宋の昭公は祖母・襄夫人(王姬)や公族をないがしろにし、田猟にふける。襄夫人は美貌の公子鮑と密通し、これを立てようと図る。昭公側の反撃で穆・襄両族の要人が殺されるが、公子鮑は逆に融和策と施し(飢饉時の放出米・老人扶助など)で国人の心を得る。襄夫人と結んだ公子鮑は昭公の狩猟の隙をつき挙兵、忠臣・蕩意諸は殉死し昭公も討たれる。公子鮑が即位して文公となる(詩:華耦の加担を批判する一首)。

晋の対応と鄭の離反

趙盾は宋の弑逆を討つべく荀林父に出兵させるが、宋の賄賂を受けて講和し文公の地位を追認する。これを見た鄭穆公は晋の実効性のなさに見切りをつけ楚へ通じる(詩:晋の覇権の陰りを嘆く一首)。

齊懿公の暴政と最期

懿公は旧怨から大夫・邴原の屍を辱め、その子・邴歜には赦しつつも屈辱を強いる。さらに大夫閻職の妻を奪い後宮に留める。邴歜と閻職は申池での入浴中に意を通じ合い、昼寝中の懿公を刺殺する(在位わずか四年)。二人は楚へ亡命し、公子元が立って惠公となる(詩:仇との危険な同行を戒める一首)。

魯の後継問題の萌芽

魯文公は嫡子・惡を世子とするが、寵妾・敬嬴は自分の子・倭を立てたいと望み、権臣の公子遂(東門遂)や叔孫得臣に賄賂と誘いをかけて取り込みを図る。文公が没すると世子惡が即位するが、公子遂と叔孫得臣は斉の新君・惠公への弔問を口実に、公子倭擁立に向けて動き出す。