東周列國志第五十回 東門遂が子倭を立て、趙宣子が桃園で強く諫める (東門遂援立子倭 趙宣子桃園強諫)
仲遂による公子倭の擁立
- 仲孫遂(東門氏)と叔孫得臣が斉へ赴き、恵公に新君の即位を報告する。恵公は嗣君の名「悪」の不吉さを問い、遂は先君が本来は年長で人望のある公子倭を愛していたが嫡子であることを憚っていた事情を明かす。
- 恵公が改立を望むなら婚姻の好で援助すると持ちかけ、仲遂・得臣はこれを受けて誓約を結ぶ。
- 帰国した仲遂は季孫行父に事情を告げるが、行父は不審を抱き、叔仲彭生に警戒を促すも取り合われない。
- 仲遂は敬嬴と共謀し、馬の見物と偽って公子悪と視(嗣君)を廄に誘い出し刺客に殺させる。続いて叔仲彭生も同様の偽計で廄に呼び出し謀殺する。彭生の家臣公冉務人は入朝を止めたが聞き入れられなかった。
- 事の次第を知った季孫行父・叔孫得臣は仲遂を責めるが、仲遂は「今は新君擁立が急務」として公子倭を立てる(宣公)。
- (詩:外戚と寵姫の陰謀により無実の嗣君が滅んだことを嘆く内容)
姜氏(出姜)の悲嘆
- 嫡夫人姜氏は二子を殺され、仲遂が公子倭を擁立し敬嬴を夫人として遇したことに絶望し、齊への帰国を決意する。
- 仲遂の慰留を罵り退け、市中で慟哭しながら仲遂の非道を叫び、国人の同情を集める。魯は市を休んだという。
- 姜氏は「哀姜」また「出姜」と呼ばれ、齊に戻り昭公夫人と互いの子の不幸を語り合うが、恵公はその泣き声を厭い別居させた。出姜はそのまま齊で没した。
叔肹の清廉
- 宣公の同母弟叔肹は、兄が仲遂の力で弟を殺して即位した経緯を快く思わず、朝賀にも赴かない。
- 宣公からの登用や俸禄・贈物の申し出をことごとく辞退し、自ら屨を織って生計を立てる。兄の過ちを一言も口にせず、清貧のうちに生涯を終えた。
- (詩:叔肹の清節を称える内容)
- 魯人はその義を称え、後にその子が大夫に登用された。
斉との婚姻と会盟
- 周匡王五年(宣公元年)、仲遂は自ら齊へ赴いて婚を求め、姜氏を夫人に迎える。その裏で仲遂は宣公に対し、斉との結束を固めるため賂を惜しまず会盟を求めるよう進言する。
- 季孫行父を齊へ遣り謝婚させ、その使いの言葉で斉に恭順の意を示す。斉恵公は快諾し、平州での会盟を約す。
- 会盟では宣公が濟西の田を献上し、以後魯は斉に忠実に仕える関係となった(後に恵公晩年、その田は返還される)。
楚荘王「三年鳴かず飛ばず」
- 楚荘王旅は即位後三年、政務を顧みず酒色に耽り、諫言する者は死罪とする令を出す。
- 大夫申無畏が隠語(三年飛ばず鳴かない大鳥)を用いて諷諫すると、荘王は「一たび飛べば天を衝き、一たび鳴けば人を驚かす」と応じるが、なおも遊興を続けた。
- 大夫蘇従が死を賭して直諫し、一時の快楽と万世の利を天秤にかけて説くと、荘王は感じ入って政道を改める。鄭姫・蔡女を遠ざけ樊姫を夫人とし、蒍賈・潘尪・屈蕩を登用して国政を整え、鄭・晋との戦いでも勝利を収め、楚は次第に強盛となった。
晋霊公の暴虐
- 晋の上卿趙盾は楚の強大化に対抗すべく秦との和を図るが、趙穿の献策で秦の属国崇を攻めたことがかえって秦の反発を招き、趙氏内部にも不和の種が生まれる。
- 晋霊公は成長するにつれ淫虐の性を強め、大夫屠岸賈に阿諛されるまま桃園を築き、弾弓で通行人を傷つけて楽しみ、猛犬「霊獒」を飼って臣下を威圧するようになる。趙盾らの諫言にも耳を貸さない。
趙盾の直諫と鉏麑の自死
- 霊公が料理人を些細な理由で惨殺した事件を機に、趙盾は桃園の門前で強く諫め、霊公を辱める暴虐を止めるよう説く。霊公は表面上詫びるが、屠岸賈の入れ知恵で趙盾暗殺を企てる。
- 刺客鉏麑は未明の趙盾邸で、朝服のまま端座して登朝を待つ趙盾の姿に忠臣の徳を見て翻意し、槐の木に頭をぶつけて自害する。
- (詩:鉏麑の義烈を称える内容)
二度目の暗殺未遂と趙盾の出奔
- 屠岸賈は次に、宴席で趙盾に佩剣を見せるよう求め、拔剣を口実に伏兵で誅殺する計を献じる。車右提彌明が異変を察し趙盾を助け起こすが、霊公は猛犬霊獒を放つ。彌明は素手で獒を絞め殺すも、多勢の伏兵と戦い力尽きて死ぬ。
- (詩:主君の犬と臣下の犬を対比し、彌明の忠を称える内容)
- 逃げる趙盾を、かつて趙盾に恩を受けた靈輒(翳桑の飢者)が身を挺して助け、趙朔の駆けつけた車に乗せて脱出させる。趙盾は趙朔とともに西へ亡命の途につく。