東周列國志第三十五回 晋の重耳が列国を周遊し、秦の懐嬴が重ねて公子に嫁ぐ (晉重耳周遊列國 秦懷嬴重婚公子)
齊を去った重耳、魏犨との衝突
- 狐偃の計で無理やり齊を発たされた重耳は怒り、魏犨の戈を奪って狐偃を刺そうとするが、趙衰・臼季・狐射姑・介子推らに止められる。
- 狐偃は「自分を殺して公子の志が成るなら本望」と謝罪。趙衰らも「一同の総意であり狐偃一人の企みではない」と弁護し、魏犨も「大丈夫たるもの目先の安楽に溺れるな」と諫める。
- 重耳は思い直し、一同は食事をとって旅を続ける。
曹国での冷遇
- 曹の共公は遊興にふけり佞臣ばかりを重んじる暗君。大夫僖負羈は「晋と曹は同姓、公子を厚遇すべき」と諫めるが、共公は聞かず、しかも重耳の骿脅(あばら骨が一枚に連なる異相)を見たいという好奇心から、入浴中の重耳を覗き見て嘲弄する。
- 僖負羈は帰宅後、妻呂氏の勧めで密かに重耳に食事と白璧を贈り誠意を示す。重耳は感激するが璧は固辞する。負羈は「重耳の志は測り知れない」と嘆じた。
宋での厚遇、宋襄公の死
- 重耳は宋に至り、股傷を負う宋襄公から国君並みの礼遇を受ける。狐偃は司馬公孫固と国情を話し合い、宋は疲弊しており大国を頼るべきと助言、重耳は旅を続けることにする。
- 宋襄公は間もなく病没。臨終で世子王臣(成公)に「秦への恨みを忘れず、重耳が即位したら厚く仕えよ」と遺言する。
鄭での門前払い、楚での厚遇
- 鄭の文公は重耳を「不肖の逃亡者」として門を閉ざして拒絶。上卿叔詹は「重耳には天の助けがある三つの理由」を説いて諫めるが聞き入れられない。
- 楚に至った重耳は成王から国君の礼で迎えられる。狩りの席で人熊を仕留めるなど楚王との交誼を深め、趙衰の博識(「貘」という怪獣の解説)も評価される。魏犨は素手でその怪獣を捕らえる剛力を見せる。
- 宴席で楚王に「もし帰国できたら何を報いるか」と問われた重耳は、「万一戦場で相まみえることがあれば三舎(九十里)退いて恩に報いる」と答える。楚将成得臣は重耳の不遜を怒り殺害を進言するが、楚王は「天が助ける者に逆らえぬ」と退けた。
秦への接近、懐嬴との婚姻
- このころ晋の太子圉(子圉)は秦での人質生活に見切りをつけ、妻懐嬴を残して晋へ逃げ帰る。秦の穆公は「夷吾父子は二代とも我を裏切った」と激怒し、逆に重耳を招き入れようとする。
- 重耳は楚王の勧めもあり秦へ向かう。穆公は重耳を厚遇し、夫人穆姫の勧めで、子圉の妻だった懐嬴を重耳に嫁がせようとする。
- 重耳は叔姪の間柄を憚り固辞するが、趙衰・臼季が「徳を同じくすれば血縁の遠近は問題でない」と説き、狐偃も「国を奪う以上、妻を問題にする段ではない」と後押しし、重耳は婚姻を受け入れる。秦との結びつきは一層深まった。
晋懐公の粛清と狐突の死
- 帰国した太子圉は父惠公の死後、懐公として即位。重耳に従った臣下の一族に「三か月以内に呼び戻さねば処罰する」と厳命する。
- 老臣狐突は子の狐毛・狐偃を呼び戻すよう迫られるが、「忠臣は二君に仕えず」として拒否し、処刑される。太卜郭偃は「即位早々に功臣を殺すとは、この治世は長くない」と嘆いた。
- 狐氏の家臣は秦へ逃れ、狐毛・狐偃にこの凶報を伝える。