東周列國志第三十四回 宋襄公が偽りの仁で衆望を失い、斉姜氏が酔いに乗じ夫を追う (宋襄公假仁失衆  齊姜氏乘醉遣夫)

盂の会での劫盟

  • 楚成王は従者に暗甲を潜ませ盂の会に臨み、宋襄公を捕らえて宋の財貨・物資を掠奪した。(詩:楚に近づいたための災いを詠む内容)
  • 楚王は宋襄公の六つの罪(鄫子を犠牲にした事、諸侯を辱めた事、盟主を僭称した事など)を並べ立て、諸侯を引き連れて宋の都・睢陽へ進軍した。

目夷の摂政と睢陽の防衛

  • 目夷は司馬公孫固と謀り、宋公が捕らわれた隙に自ら摂政となって睢陽を固守。楚が「宋公を殺すぞ」と脅しても「既に新君を立てた、生殺は楚の自由」と動じず、力攻めも三日で撃退した。
  • 成得臣は「宋公を殺しても益はない」と進言し、代わりに宋の捕虜を魯へ見せつけて魯を威圧し、宋のために取りなさせる策を提案。楚王はこれを容れ亳都に兵を退いた。

宋襄公の釈放

  • 楚の脅しに驚いた魯僖公は亳都へ赴くが、諸侯を前に「盟主は仁義で人心を得るべきもの、宋公を釈放しなければ従えない」と主張し、諸侯の同意を得る。
  • 楚成王は面目を保ちつつ盟主として振る舞う条件で宋襄公を釈放。目夷は摂政の位を退いて襄公を迎え、忠義を称えられた。(詩:目夷の賢明さを称える内容/諸侯が楚に媚びたことを嘆く内容)

泓水の戦い

  • 屈辱に耐えかねた宋襄公は、楚と結んだ鄭を討とうと出兵。目夷・公孫固の反対を押し切って強行するが、楚は鄭救援ではなく手薄になった宋を直接衝く策を取り、成得臣・鬥勃が宋へ進軍した。
  • 泓水で対陣した際、公孫固は「渡河中」「布陣前」の好機に攻めるよう再三進言するが、襄公は「仁義の軍は不意打ちをしない」と拒み、悉く聞き入れなかった。
  • 楚軍が態勢を整えてから交戦し、宋軍は大敗。襄公自身も股を射抜かれる重傷を負い、公子蕩は身をもって庇い戦死、公孫固がかろうじて襄公を救出した。国人は襄公の頑迷を怨んだが、襄公は「仁義の師は窮地の敵を討たぬもの」と自らを正当化した。(詩:宋襄公の「仁義」を痛烈に皮肉る内容)

楚成王と鄭の醜聞

  • 大勝した楚成王は鄭で盛大な歓待を受け、鄭文公の妻・文羋(楚王の妹)とその娘二人(伯羋・叔羋)が同席。楚王は酔いに乗じて二人の姪を我が物にし、鄭の大夫叔詹はこれを見て楚の将来を危ぶんだ。

重耳の齊出立

  • 齊に七年留まった重耳は、桓公没後の混乱と孝公の楚接近で諸侯の齊への信頼が薄れたのを見て、従者たちが密かに出立を計画する。しかし重耳自身は齊姜への愛執から動こうとしなかった。
  • 密議を聞いた桑摘みの侍女が齊姜に密告するが、齊姜は口封じに侍女らを殺し、逆に重耳に「早く晋を得るべき」と促す。それでも動かぬ重耳に対し、齊姜は狐偃と結んで一計を案じ、酒宴で重耳を酔い潰させ、眠ったまま車に乗せて城外へ運び出させた。
  • 目覚めた重耳は騙されたと知って激怒し、狐偃に矛を向ける場面で本回は終わる。