東周列國志第三十三回 宋公が斉を伐ち子昭を立て、楚人が伏兵で盟主を脅す (宋公伐齊納子昭 楚人伏兵劫盟主)
高虎の決起と無虧の敗死
- 高虎は易牙が出兵中の隙に豎刁を酒席に招き、宿老の権を借りて謀殺。国人の支持を得て太子昭を迎え入れる構えを見せる。
- 無虧は事態を知り兵を集めようとするが、かつて易牙・豎刁に殺された官吏の遺族たちが恨みを晴らすべく蜂起し、無虧を車ごと囲んで殺害した。(詩:積年の恨みが報いとして返る内容)
- 易牙は軍中の動揺で戦意を失い、魯へ逃走。高虎は太子昭を迎えるが、公子元・潘・商人が長衛姬の命で兵を集めて対抗し、太子昭は一旦宋へ退いた。
宋の援軍と孝公の即位
- 宋襄公は太子昭のために再度出兵、公孫固を大将として臨淄に迫る。公子元らは先制攻撃を仕掛けるが、烏合の衆で宋軍に撃破され、公子元は衛へ逃走。
- 国懿仲・高虎は太子昭を擁立し即位させる(齊孝公)。宋襄公の功に感謝し崔夭を大夫に取り立てるなど論功行賞が行われた。魯僖公は救援に向かう途中で事態を知り引き返し、これを機に魯齊の関係に隙間が生じた。
- 首謀者の易牙・豎刁の一族のみ誅殺し、他は不問とされた。桓公は秋八月に厚く葬られたが、後年(晋の永嘉年間)に墓が盗掘され、殉葬者の骸骨が散乱していたという後日談が語られる。(詩:厚葬もむなしいと詠む内容)
宋襄公の覇業志向と鄫子の犠牲
- 宋襄公は太子昭擁立の功に驕り、諸侯を糾合して齊桓公に代わる盟主たらんとする。曹の南で滕・曹・邾・鄫を集めるが、滕君の遅参を咎めて拘束し、さらに公子蕩の献策で鄫君を睢水の神への生贄として殺させた。上卿目夷は人を犠牲にする非道を強く諫めたが聞き入れられなかった。
- 東夷はこれに靡かず、滕君も賄賂で釈放されるなど狙いは外れる。曹の非礼を咎めて曹を包囲するも落とせず、鄭が齊・魯・陳・蔡とともに楚と結んだとの報に接し兵を退いた。
鹿上の会と楚への接近
- 宋襄公は公子蕩の献策により楚に諸侯招集の後ろ盾を求め、楚成王は快諾。翌年、鹿上で宋・齊・楚の三君が会盟し、宋襄公は秋に盂で諸侯を集める約束を取り付けるが、署名の順序で楚を先に立てたことに齊孝公が不快感を抱いた。(詩:楚に頼った宋の見通しの甘さを嘆く内容)
- 楚に戻った成王は令尹子文に経緯を語り、大夫成得臣は「宋公は名を好み実がなく謀に乏しい、盟に乗じて捕らえてしまえ」と献策。楚王はこれを容れ、伏兵の計を密かに整えた。
- 宋襄公は目夷の「兵車を伴うべき」との忠告を退け、乗車のみで盂の会に赴いた。