東周列國志第三十二回 晏蛾児が塀を越え節に殉じ、諸公子が朝堂で大いに争う (晏蛾兒踰牆殉節 羣公子大鬧朝堂)
扁鵲の医術と桓公の病
- 齊に寓する名医・秦緩(扁鵲)が神薬を得て透視の力を持ち、虢の太子を蘇生させた逸話が語られる。
- 扁鵲は齊桓公を診て「病が腠理→血脈→腸胃→骨髄と進んでいる」と繰り返し警告するが、桓公はその都度取り合わなかった。骨髄まで病が進んだ段階で扁鵲は治療不能と悟り、無言で立ち去って国外へ逃れた。果たして桓公は程なく発病する。
継嗣争いの火種
- 桓公には正夫人3人(王姬・徐姬・蔡姬)に子はなく、六人の如夫人がそれぞれ公子を産んでいた(無虧・元・昭・潘・商人・雍)。
- 易牙・豎刁は長子無虧を、開方は潘を、それぞれ後継に推す動きを見せ、公子昭は管仲の遺言により桓公と宋襄公の間で太子と定められていたが、諸公子が党を組み互いに牽制し合う不安定な状況だった。
桓公幽閉と餓死
- 桓公が病臥すると、易牙・豎刁は偽の命令書を掲げて宮門を封鎖し、太子昭を含む全員の出入りを禁じ、高い塀まで築いて桓公を隔離した。
- 賤妾の晏蛾兒だけが塀を越えて桓公のもとへたどり着き、水も粥も得られない惨状を告げる。桓公は管仲の遺言を思い出して悔い、「仲父に合わせる顔がない」と嘆きつつ息絶えた。(詩:桓公の覇業を称える内容/桓公の哀れな末路を嘆く内容)
- 晏蛾兒は主君の遺骸に衣をかけ扉板で覆った後、殉じて自ら柱に頭を打ちつけて死んだ。
無虧の即位と諸公子の争乱
- 易牙・豎刁は死を隠したまま長衛姬の子・無虧を擁立しようと図り、太子昭を東宮ごと襲撃する。
- 太子昭は夢で晏蛾兒の警告を受け、上卿高虎の手引きで崔夭とともに宋へ逃れた。
- 易牙・豎刁は空振りに終わり、やむなく無虧を朝堂に立てるが、百官はこれに従わず衝突となり、多くの官が殺傷された。
- 公子潘(開方派)・公子元・公子商人もそれぞれ兵を集めて宮中に陣取り、四勢力が対峙する膠着状態となった。(詩:骨肉の争いを嘆く内容)
- 老臣の高虎・国懿仲は「喪も出さず位を争うのは道に反する」と諸公子を説き、まず無虧に桓公の遺骸を収めさせることで事態を収拾。桓公の遺骸は虫がわくほど放置されており、晏蛾兒の遺骸のみ生前の姿を保っていたという。(詩:忠臣を退け佞臣を用いた報いを嘆く内容)
太子昭の帰国運動
- 宋に逃れた太子昭は、宋襄公に助けを求める。襄公は覇業を継ぐ好機と見て、上卿目夷の「宋は齊に及ばぬ点が三つある」との慎重論を退け、衛・曹・邾に太子昭擁立の檄を発した。
- 衛の寧速は無虧を推すが、衛文公は「太子は既に天下に知られている」として檄に応じる。魯僖公は「宋が攻めれば救援する」と静観の姿勢を示す。