東周列國志第二十一回 管仲が知恵で俞児を弁じ、斉桓公が兵で孤竹を平定する (管夷吾智辨俞兒  齊桓公兵定孤竹)

燕の危機と斉の出兵

  • 令支(山戎の一種)が燕を侵し、燕は斉に急を告げる。管仲は「戎狄は中国の憂い、盟主の責」と説き、桓公は救援に赴く。魯荘公も従軍を申し出るが、桓公は辞退させる。

令支の撃破

  • 山戎の令支子・密盧は燕を蹂躙するが斉軍の到来を聞き撤退。桓公はこれを追って征伐を決める。燕の勧めで戎族ながら山戎に与しない無終国の将・虎兒斑を先鋒に加える。
  • 密盧の将・速買の伏兵策を、管仲・王子成父らが見破って撃破。水源に困った際は隰朋の助言(蟻の巣のある場所を掘る)で泉を得(「聖泉」と命名)、糧道を断つ策も見破って山戎の本拠を急襲。密盧・速買は敗走する。

孤竹討伐への転進

  • 敗走した令支の民は斉軍に降伏。桓公は孤竹国が令支と結んでいると知り、これを討つことを決める。

卑耳山越えと俞児の奇瑞

  • 峻険な山道を管仲は火攻めで開き、上山・下山の歌を作らせて人夫の労苦を和らげる。
  • 桓公は山中で異形の小人(俞児)を見て驚くが、管仲はこれを「北方の山の神で覇王の主に現れる瑞兆」と解き、その仕草から渡渉の道筋(水の浅い左手)を読み解く。実際に卑耳渓の浅瀬が見つかり奇瑞が的中する。(詩:管仲が俞児を言い当てたことを讃える髯翁の詩)
  • 軍を二手に分けて渡渉し、団子山で合流する策を取る。

孤竹討伐と答里呵の計略

  • 孤竹の答里呵は将・黄花元帥を出すが敗れ、令支の密盧・速買と孤竹軍の間に不和が生じる。黄花は密盧を裏切って斬り、その首を斉軍に献じて降を装う。
  • 孤竹の宰相・兀律古は「旱海(迷谷)」という魔境に斉軍をおびき出す計略を献策し、答里呵は空城を装って山中に避難、黄花に偽りの投降をさせる。

旱海の遭難と老馬識途

  • 桓公は黄花の偽りの情報に従って砂漠地帯(旱海)に深入りし、悪天候と怪異な風霧に遭って軍を見失う。隰朋も一時行方不明になる。
  • 管仲の進言で老馬を放って道を探させ(「老馬識途」)、ようやく脱出する。(詩:蟻と馬の知恵に助けられたことを詠う髯翁の詩)
  • 一方、斉将・高黑は黄花に捕らえられるが屈服を拒んで罵り、黄花に斬られ落命する(忠臣として後に顕彰される)。

無棣攻略と答里呵誅殺

  • 桓公は旱海を脱して隰朋隊と合流し、計略を用いて無棣城を陥落させる。答里呵は捕らえられ、桓公自ら斬首して民を安撫する。高黑の忠節も讃えられる。

戦後処理:燕への加増、魯への厚遇

  • 燕荘公が合流し、桓公は令支・孤竹の故地を燕に与える。見送りに来た燕伯が斉の境まで踏み込んでしまったため、桓公は「諸侯は境を越えて見送らぬ礼」に則り、その踏み入った地まで燕に割譲する(後に「燕留」と名づけられる)。燕は大いに国土を広げる。
  • 帰途、魯荘公が出迎え、桓公は戦利品の半分を魯に贈り、荘公は管仲の采邑に築城で応える。

魯荘公の薨去

  • 魯荘公三十二年(周惠王十五年)秋八月、魯荘公が薨去し、魯国は大いに乱れることになる。