東周列國志第二十回 晋献公が占いに背き驪姫を立て、楚成王が乱を平め子文を相とする (晉獻公違卜立驪姬 楚成王平亂相子文)
斉桓公、幽の会盟と鮑叔牙の諫言
- 周惠王十年、徐戎が斉に服し、鄭文公も斉の勢いを恐れて盟を求め、斉は宋・魯・陳・鄭と幽で会盟。天下の心が斉に帰した。
- 帰国後の祝宴で鮑叔牙が桓公に杯を捧げ、「明主賢臣は楽しみの中でも憂いを忘れぬもの」と諫言。桓公は出奔・管仲の幽囚・甯戚の苦難を忘れぬと誓い、宴は歓を尽くして終わる。
衛への出兵と衛姫の献上
- 周の召伯廖が来訪し、桓公に方伯の任と専征伐の権を授け、かつて子頹擁立に加担した衛への討伐を命じる。
- 桓公は衛を攻め、衛懿公(先の衛惠公朔の子)は敗れる。桓公は罪は先君にあり子孫には及ばぬとして許すが、懿公の子・公子開方は財貨を献じて講和を求め、みずから斉に仕えたいと願い出る。
- 桓公は開方を大夫に取り立て、豎貂・易牙とともに寵愛(世に「三貴」と呼ばれる)。開方の勧めで衛侯の娘(長衛姫・少衛姫)も斉に嫁ぐ。(詩:賂を取って媾和した桓公の下心を風刺する髯翁の詩)
晋の由来と献公の即位
- 晋は周成王の弟叔虞に始まる家系。穆侯以降、曲沃と翼の内紛(曲沃桓叔・荘伯・武公)が数代続き、武公が翼を滅ぼして晋侯の位を得、その子・佹諸が献公として即位するまでの経緯を略述。
献公の後宮と驪姫の寵愛
- 献公は賈姫(早世)ののち狐姫(重耳を生む)、小戎の女(夷吾を生む)を娶り、また父武公の妾であった斉姜と密通して申生をもうけ、のち斉姜を夫人に立てて申生が世子となる。
- 献公は驪戎を討ち、その娘・驪姫と少姫を得る。驪姫は寵愛を独占し奚齊を生み(少姫は卓子を生む)、献公は驪姫を夫人に立てようとする。
- 太卜郭偃・史官史蘇に占わせるがいずれも不吉と出るが、献公は聞き入れず驪姫を夫人に立てる。史蘇は里克に、驪姫がやがて晋を滅ぼすと予言する。
驪姫の奪嫡の謀
- 驪姫は奚齊を世子にしたいが、申生・重耳・夷吾の結束を恐れ、表向きは廃立に反対するふりをする。
- 献公の寵臣「二五」(梁五・東関五)と美貌の優人施を驪姫が金で籠絡し、三公子を辺境へ遠ざける策を進言させる。
- 梁五・東関五の進言により、申生は曲沃、重耳は蒲、夷吾は屈にそれぞれ出鎮させられる。築城を命じられた士蒍はわざと手薄に築き、「一国に三公あり、誰に従うべきか」との意の詩を詠み、驪姫の奪嫡の企みを見抜いていたことを示す。(詩:嫡庶の別なき混乱を風刺)
楚の内紛と子元の専横
- 楚では熊囏(堵敖)が弟の熊惲を忌んで除こうとするが、逆に熊惲に殺され、熊惲が成王として立つ。
- 令尹となった子元(王子善)は兄文王の未亡人・息媯(文夫人)に横恋慕し、宮殿脇に館を築いて歌舞に耽る。文夫人の皮肉を聞いて面目を保つため鄭へ出兵するが、鄭の叔詹の計略(城門を開いて動じぬ態度を見せる「空城」策)と諸侯救援の噂に恐れをなし、戦わず撤退する。
子元の誅殺と鬥穀於菟(子文)の出自
- 子元は文夫人に取り入ろうと病を口実に王宮に居座るが、大夫鬥廉に諫められて逆上し監禁する。文夫人の求めで鬥穀於菟(子文)が兵を率いて宮を包囲し、子元は鬥班に斬られる。(詩:子元の色欲を諷する髯翁の詩)
- 子文の出生譚(虎に育てられた逸話)と、父・鬥伯比の代からの経緯を経て、子文が令尹に推挙されるまでを紹介。
- 子文は自ら采邑の半分を国庫に返上して範を示し、都を郢に遷し、賢才を登用して楚を大いに治める。
斉桓公、楚と山戎への対応を協議
- 桓公は楚の子文の善政を警戒し楚討伐を管仲に諮るが、管仲は時機尚早と説き、まず紀の付庸・鄣を義によって降す策を進言、成功する。
- そこへ燕からの山戎侵攻の急報が入り、管仲は「戎を先に平らげてから南方(楚)に臨むべき」と進言する。