東周列國志第十九回 傅瑕を捕え厲公が復国し、子頽を殺し恵王が復位する (擒傅瑕厲公復國 殺子頹惠王反正)
鄭を巡る策謀と厲公の復位
- 管仲は桓公に、覇業には楚を抑えることが必要であり、そのためには要衝の鄭を得るべきだと説く。鄭では祭足が突を追放し忽・亹・儀と君主が転々としていたが、祭足の死を機に、桓公は賓須無に兵を与えて櫟にいた鄭厲公(突)の復位を助けさせた。
- 鄭都で二蛇が闘うという奇瑞を賓須無は厲公復位の兆しと解いた。厲公は大陵を守る傅瑕を降し、傅瑕は許しと引き換えに叔詹と内通し、城中で子儀を殺害して厲公を迎え入れた。
- 復位した厲公は、傅瑕が旧主子儀を裏切ったことを「忠に非ず」として結局処刑した。子儀擁立に関わった原繁は自ら命を絶ち、公子閼も誅殺された。
諸侯会盟の進展
- 桓公は宋・衛とも会盟し、諸侯の心が斉に帰したのを見て宋・魯・陳・衛・鄭・許を幽の地に集めて歃血の盟を結び、正式に盟主の号を確立した(釐王三年冬)。
楚文王の末路
- 楚文王は息媯を得て寵愛したが、息媯は「一婦にして二夫に事えた」ことを恥じ、心を開かなかった。文王は蔡を攻めて夫人のため報復し、また鄭の遅い服属報告に怒って鄭を攻めた。
- その後、閻氏の恨みを買っていた文王は巴との戦いで大敗し、鬻拳に城門を閉ざされて入城を拒まれる屈辱を受ける。黄を攻めて雪辱するが、夢に息侯の亡霊が現れて祟られ、矢傷が悪化して陣中で没した。鬻拳は自らの二度の無礼を恥じて自刃し、子孫が代々門番を務めることとなった。
周室の内乱(子頹の乱)と鄭・虢による反正
- 鄭厲公は周への朝貢を通じて権威回復を図る中、周で子頽(荘王の寵妃の子)が蒍国ら五大夫に擁立されて恵王に反旗を翻し、恵王は鄭の櫟へ逃れていたことを知る。
- 厲公は虢公と結んで義兵を挙げ、王城を攻めて子頽一派を討伐。蒍国は自刃し、辺伯・詹父らも討たれ、子頽自身も処刑された。恵王は復位し、鄭・虢両国に領地や宝器を賜った。厲公は帰国途上で病没し、世子捷(文公)が後を継いだ。
陳・魯の動静
- 陳では公子御寇が謀反の疑いで殺され、これに連座を恐れた公子完(敬仲)が斉に亡命、桓公に工正として重用された(後の田氏の祖)。
- 魯では文姜が莒の医師と密通するなど乱行を重ねた末に没し、遺言により荘公は喪中にもかかわらず斉の女(哀姜)を正室に迎えることとなった。大夫御孫はこの婚礼の儀礼の乱れを嘆いた。斉魯の誼はこれにより一層強まり、桓公は魯と共に徐・戎を討ってこれを服属させた。鄭の文公は斉の勢力の増大を見て、盟を請う使者を送った。