東周列國志第二十二回 公子友が二度魯君を定め、斉皇子が委蛇に独り対す (公子友兩定魯君 齊皇子獨對委蛇)
魯荘公の兄弟と後宮
- 魯荘公には異母兄・慶父(仲)、異母弟・叔牙、同母弟・季友がいる。荘公は寵姫孟任との間に子般をもうけるが夫人には立てられず、正夫人には母文姜の意向で斉から姜氏を迎える。姜氏(のちの哀姜)は久しく子がなく、荘公とは心情的に距離があり、魁偉な公子慶父と密通、叔牙とも結んで慶父擁立を謀る。(詩:斉風の淫らさを風刺する髯翁の詩)
- 荘公の寵臣・公子般が、圉人犖という力自慢の男を、梁氏の娘への戯れ歌を理由に鞭打つ。荘公は犖の恨みを恐れて殺すよう勧めるが、子般は聞き入れず、犖は密かに慶父に付く。
荘公の死と叔牙の誅殺
- 荘公が病篤くなり、叔牙は慶父擁立を勧めるが、季友は慶父の非道を説いて子般擁立を主張。季友は鴆酒で叔牙を毒殺し、荘公はその夜薨去。子般が喪を主宰する。
子般弑殺と閔公擁立
- 慶父は圉人犖を使嗾して子般を暗殺させ、犖の罪として処断し自らの関与を隠す。季友は身の危険を感じて陳へ亡命。
- 夫人姜氏(哀姜)は慶父擁立を望むが、慶父は年少の子啟(叔姜の子)を擁立(閔公)。閔公は斉桓公の甥にあたり、外戚の力を借りようとする。
- 落姑の会で閔公は桓公に慶父の専横を訴え、桓公の命で季友が呼び戻され宰相となる。斉の大夫仲孫湫が魯の情勢を探り、季友に慶父の除去を勧める。
閔公弑殺と慶父・哀姜の逃亡
- 大夫卜齮が太傅慎不害との土地争いを機に慶父にそそのかされ、刺客・秋亜に閔公を暗殺させる。季友は公子申とともに邾へ亡命。
- 国人は慶父を憎み、卜齮の一族は誅殺される。慶父は身の危険を感じ莒へ、哀姜も邾へ逃れて季友を頼るが拒まれる。
- 斉は魯の混乱に乗じず、上卿高傒を派して公子申を擁立(僖公)させ、魯を安定させる。
慶父・哀姜の最期
- 莒は魯からの賂を受けて慶父を追放。慶父は斉へ向かうが受け入れられず汶水のほとりに留まる。季友は「自裁すれば後嗣を存続させる」と伝えさせ、慶父は使者・奚斯の様子から己の運命を悟り自ら首を吊って死ぬ。
- 哀姜も豎貂の勧めで自ら命を絶ち、僖公は手厚く葬る。(詩:叔牙・慶父の誅殺を「大義滅親」と評する史官の詩)
- 季友は帰国の途上、莒の公子嬴拏と一騎討ちし、宝刀「孟労」で勝利する。
三桓の分立
- 僖公は季友を上相とし、慶父・叔牙の子孫にもそれぞれ後嗣(孟孫氏・叔孫氏)を立てさせ、季友の季孫氏と合わせて「三桓」が魯政を分掌することになる。(詩:三桓の由来を評する史官の詩)
桓公と皇子・委蛇の逸話
- 斉桓公は魯の内乱平定後も威名を高め、狩りの最中に怪異な物を見て病に倒れる。豎貂の入れ知恵で管仲を試すが、管仲も答えられず、農夫の皇子という人物が「委蛇」という沢の精霊の姿を言い当て、桓公の病は快癒する。皇子は褒賞を辞退し、管仲は「衆知を用いる」姿勢を評価される。
狄人、衛を侵す(次回予告)
- 周惠王十七年、狄が邢を侵し、さらに衛へ矛先を向ける。衛懿公は救援を求めるが、桓公はいったん見送る。まもなく狄が衛を破って懿公を殺し、公子燬(文公)擁立の動きが伝えられる。