東周列國志第二十三回 衛懿公が鶴を好み国を亡ぼし、斉桓公が兵を興し楚を伐つ (衞懿公好鶴亡國 齊桓公興兵伐楚)
衛懿公の鶴狂いと国の疲弊
- 衛懿公は政務を怠り鶴を溺愛、鶴に大夫・士の俸禄を与え、外出にも「鶴将軍」として車に載せる。民は重税に苦しみ、離心が広がる。
- 賢臣・碩と碩の子孫にあたる公子燬(のちの文公)は国の行く末を見て斉へ身を寄せる。
狄の侵攻と衛の滅亡
- 北狄の主・瞍瞞が邢を破ったのち、衛へ矛先を向ける。懿公は急ぎ兵を集めるが、民は「鶴に禦がせればよい」と皮肉を言って従軍を拒む。懿公は詫びて鶴を放つが、鶴は懐き去らない。
- 懿公は齊への旧怨(先の討伐)を理由に救援を求めず自ら出陣、石祁子・寧速に国政と防衛を託し、決死の覚悟を語る。軍中では鶴を皮肉る歌が流れる。
- 滎沢で狄の伏兵に遭い衛軍は総崩れとなり、懿公・渠孔以下ことごとく討死(懿公は肉塊にされるほどの惨状)。(詩:鶴狂いが亡国を招いたことを詠う髯翁の詩)
- 太史の礼孔は敵に降ることを拒んで自刎、寧速・石祁子は宮眷と公子申を伴い脱出、狄軍は衛都を陥落させ略奪して去る。
弘演の納肝
- 使者から帰った大夫・弘演は懿公の遺骸(肝のみ完存)を見つけ、哀悼の礼を尽くしたのち自らの腹を裂いて懿公の肝を納め絶命する(後世に忠臣として顕彰される)。
衛の再興
- 生き残った民わずか七百余人に周辺の民を加え五千人ほどとし、公子申を戴公として立てるが間もなく病没。宋・斉の助力で公子燬(文公)が即位。斉桓公は物資・兵を厚く援助する。
- 翌年、文公は質素な暮らしで民を慰撫し、賢君と称される。
邢の救援と衛への築城
- 狄が再び邢を侵すと、管仲は「邢の力が尽き、狄も疲れるのを待って助けるのが得策」と説き、頃合いを見て斉・宋・曹などが邢を助け、狄を撃退。夷儀に邢の新都を築く。(詩:管仲の遅疑を批判する史臣の詩)
- 続いて衛のためにも楚丘に新都を築き(「封衛」)、文公はこれに感謝し『詩経』木瓜の詩を作ったとされる。斉桓公はこの三国存続の功により覇者の首と称えられる。(詩:桓公の興滅継絶の功を讃える潜淵先生の詩)
楚の鄭侵攻と斉の対応
- 楚成王は令尹子文の勧めで鄭を狙うが、鄭の防備と斉の来援の噂に鬥章はいったん退く。楚成王は怒って鬥章を罰しようとするが、兄の鬥廉の計略で鄭の大夫聃伯を捕らえる功を挙げ、罪を免れる。再度の鄭侵攻が命じられる。
伐楚の準備(蔡姫事件)
- 鄭の急を受け、管仲は「鄭を救うより楚を伐つべし」と献策。桓公の第三夫人・蔡姫が舟遊びで桓公を驚かせたことから離縁され、蔡はこれに怒って蔡姫を楚成王の夫人に再嫁させる。管仲はこの遺恨を利用し、蔡討伐を名目に楚を討つ策を立てる。
- 江・黄両国との結盟、徐による舒国攻略、魯の季友による謝罪と参陣の申し出などを経て、斉は諸侯連合を組織する。
蔡の攻略と楚への進軍
- 豎貂が先鋒として蔡を脅すが、蔡穆公にかつての恩から機密(斉軍の狙いが実は楚討伐にあること)を漏らしてしまい、蔡侯は楚へ逃れる。
- 斉桓公は宋・魯・陳・衛・鄭・曹・許の七国とともに八国連合で楚へ向かう。楚の使者・屈完が現れ、管仲と問答する(周王室の権威と楚の貢納義務を理由に楚を責める)。屈完は本国へ持ち帰ると答えて去り、斉軍は陘山に留まり圧力をかける。