東周列國志第九回 斉侯が文姜を魯に嫁がせ、祝聃が周王の肩を射る (齊侯送文姜婚魯 祝聃射周王中肩)

文姜と諸兒の禁じられた恋

  • 斉僖公の次女文姜は絶世の美女で才知にも優れる。異母兄の世子諸兒とは幼少より親しく、成長するにつれ互いに情を通じ合うようになるが、直接の関係には至らない。鄭世子忽が北戎を破った武勇を父から聞き、文姜は忽との縁組に喜ぶが、忽が固辞したことを知り心を病む。
  • (詩:文姜の憂いを詠む)
  • 見舞いに通う諸兒を父僖公が咎めて以後の接近を禁じるが、僖公が諸兒に宋女を娶らせても、文姜の諸兒への思いは募るばかりであった。
  • (詩:文姜の孤独な思いを詠む)

魯桓公との縁組

  • 魯桓公は臧孫達の勧めと公子翬の進言により斉に婚姻を求める。文姜の病を理由に一度は延期されるが、魯からの求婚の知らせを機に文姜の病は快方に向かう。両国の会合を経て婚約が調い、秋九月に文姜を魯へ送ることが決まる。
  • 嫁ぐ文姜への未練から、諸兒は花に添えた詩を密かに贈り、文姜も詩で応じて互いの情を確かめ合う。
  • (詩2首:兄妹が交わした思わせぶりな贈答歌)

文姜、魯へ嫁ぐ

  • 迎えの使者として公子翬が斉へ赴く。諸兒は自ら妹を送りたいと申し出るが、僖公は自身の約束を守って親しく送ることにする。文姜との別れ際、諸兒はなお未練を匂わせる言葉をかける。
  • 僖公は文姜を讙の地まで送り、魯桓公と対面させて帰国する。文姜は魯へ入り桓公の夫人となる。斉魯の関係はこれにより一層親密になる。
  • (詩:兄妹の道ならぬ情がのちの禍の種となることを暗示)

桓王の鄭討伐

  • 周桓王は鄭莊公が王命を偽って宋を討った件を根に持ち、政務から鄭伯を外す。莊公は五年にわたり朝見を怠り、桓王は怒って自ら軍を率いて鄭討伐に赴くことを決める。虢公林父は諫めるが、桓王は聞き入れず、陳・蔡・衞に出兵を命じる。陳では公子佗が兄の子を弑して即位したばかりで国内が乱れていたが、王命に従い出兵する。桓王は三軍を編成し、虢公に右軍(蔡衞)、周公黒肩に左軍(陳)、自らは中軍を率いる。

繻葛の戦い

  • 鄭側では、祭足が謝罪を勧めるのに対し莊公は迎撃を決意する。公子元は、陳の軍は心服しておらず崩れやすいと見て、王師を左右二軍と中軍に分けて各個撃破する策を献じる。高渠彌は「魚麗の陣」という密集陣形を提案し、莊公はこれを容れる。また祭足の進言により「蝥弧」の大旗(王命討伐を示すもの)は用いず別の旗に替える。
  • 戦端が開かれると、鄭の左右軍がそれぞれ陳・蔡衞の軍を突き崩し、周の中軍も浮き足立つ。祝聃が桓王を射て左肩に矢を負わせるが、傷は軽い。鄭軍はさらなる追撃を鳴金で止め、桓王は退却する。
  • (詩:戦の趨勢と虚礼を詠む2首)

戦後処理

  • 祝聃は追撃の続行を求めるが、莊公は弑君の汚名を恐れて追撃をやめさせ、祭足を使者として牛・羊などの慰労品を桓王の陣へ送り、丁重に謝罪させる。桓王は不快ながらもこれを受け入れ、虢公林父の取りなしもあって事は収まる。
  • 桓王は敗戦を恥じて諸国への布告を控え、以後鄭のことには触れなくなる。
  • 一方、蔡侯は従軍中に陳の内乱(公子佗の簒奪への不服)を知り、陳への侵攻に転じる。