東周列國志第十回 楚の熊通が王を僭称し、鄭の祭足が脅され庶子を立てる (楚熊通僭號稱王 鄭祭足被脅立庶)

陳の内乱と厲公躍の擁立

  • 陳の桓公の庶子・躍(蔡姫の子、蔡侯封人の甥)をめぐり、蔡の大夫伯爰諸が「簒奪者の佗は人心を得ておらず、狩猟にふけって政務を怠っている」と蔡の公子・蔡季に内情を漏らす。
  • 蔡侯は弟の蔡季に佗の討伐を命じる。蔡季は狩猟の一行を装って佗を待ち伏せ、生け捕りにしてその場で斬り、首を陳の廟に供えて先君の子・躍を新君(厲公)に立てた。
  • (詩:簒奪の栄華が長続きしなかったことを詠む)

楚の由来と熊通の王号僭称

  • 南方の楚は羋姓の子爵国で、祝融の子孫を祖とする由緒が語られ、歴代の系譜を経て蚡冒の弟・熊通が甥を弑して即位する。
  • 熊通は令尹・鬥伯比の献策により、漢水東岸で最大の隨を威圧して服属させることを図る。
  • 隨の佞臣・少師を欺くため、楚軍はわざと老弱の兵を見せて油断させ、盟約を結んで一旦撤兵する。
  • 隨の賢臣・季梁は追撃を諫めるが、少師にそそのかされた隨侯は占いの結果もあって追撃を思いとどまる。
  • 後日、熊通は漢東諸国を沈鹿に集めるが隨と黄が応じず、楚はまず隨を攻める。隨は季梁の献策(楚の左軍=本陣を突く策)を退け少師の進言で正面攻撃を行い、少師は戦死し隨軍は大敗する。
  • 隨の賢臣・季梁が講和を取り成し、楚の鬥伯比の勧めもあって熊通は隨を滅ぼさず和睦する。
  • 熊通は周王室に王号を求めるが桓王に拒まれたため、みずから「楚武王」を名乗って独立の王権を宣言し、漢東の諸国はこれに服する。

鄭荘公の死と昭公の即位

  • 鄭荘公は、周王を射た祝聃の功に褒賞を与えなかったことを恥じられ、祝聃は憤死する。
  • 荘公は病床で後継を子突に替えたい意向を漏らすが、重臣・祭足は嫡長子の忽(世子)を推し、荘公も結局はこれに従う。
  • 荘公が薨去し世子忽が即位(昭公)。祭足は聘問のため宋へ赴く。

宋による祭足の脅迫と厲公擁立

  • 出奔中の公子突の母は宋の雍氏の出であり、宋荘公は雍氏と結んで突の帰国を画策する。
  • 宋は聘問に訪れた祭足を捕らえ、太宰・華督を通じて「忽を廃し突を立てよ」と迫る。祭足は身の危険を感じ、やむなくこれに応じる誓いを立てる。
  • 宋は公子突・雍糾(祭足の娘婿となる約束つき)らを鄭に送り込み、祭足は重臣たちを欺いて突を新君に擁立(厲公)。昭公忽は衛へ出奔する。
  • 厲公の即位後、宋は貢納の約束を果たすよう求めてくる。