唐史演義第二十九回 裴総管、師を出し屡々捷つ/唐高宗、病を得て終を告ぐ (裴總管出師屢捷 唐高宗得病告終)
裴行儿の西突厥討伐
- 波斯王子泥涅斯の送還を機に、裴行儿は波斯冊封使を名目に西突厥の阿史那都支を討つ計を献策した。
- 巧みに狩猟を口実に軍を集結させ、都支・遮匐を騙し討ちで捕縛し、戦わずして西突厥の乱を鎮めた。
東突厥の反乱と裴行儿の再征
- 東突厥単于府で阿史徳温傅らが泥熟匐を可汗に擁立して反乱。蕭嗣業は油断して大敗し、桂州へ流罪となった。
- 裴行儿が総大将として遠征、偽の糧車で伏兵を仕込む計や、増水を予知して陣を移す用兵で連戦連勝。泥熟匐を討ち取り、温傅も追い詰めた。
- 阿史那伏念が再び反乱するが、裴行儿の計略により伏念自ら温傅を捕らえて投降した。しかし裴炎の讒言により、伏念・温傅は約束に反して処刑された。裴行儿は嘆いて病を称し引きこもった。
裴行儿の死とその評価
- まもなく裴行儿は病没した(享年六十四)。文武に優れ人物眼にも優れ、王勃・楊炯・盧照鄰・駱賓王ら文人の将来を的確に見抜いていたと記される(王勃・盧照鄰は非業の死を遂げ、楊炯のみ天寿を全うしたと付言される)。
西域・北方の残敵掃討
- 安西都護・王方翼が西突厥の残党車薄を撃破した。
- 薛仁貴は代州都督として東突厥の阿史徳元珍を撃退したが、まもなく代州で病没した。
- 婁師徳が吐蕃と交戦して連勝し、文武に優れた人材として評価された。
唐の統治体制と対外交流
- 唐が安東・安北・単于・北庭・安西・安南の六都護府を各地に置いて周辺を統治していたことがまとめて紹介される。
- 祆教(拝火教)・摩尼教・景教(キリスト教の一派)・回教(イスラム教)・仏教など、西方諸宗教が唐に伝来していたことも紹介される。
武氏による宗室迫害
- 武氏は高宗の庶子・杞王上金や鄒王素節を貶め、曹王明を自殺に追い込んだ。
- 英王妃趙氏(常楽公主の娘)を幽閉して餓死させるなど、親族への迫害が続いた。
- 娘の太平公主は道士を装って吐蕃への降嫁を免れ、薛紹に嫁がされた。
高宗の崩御
- 高宗は晩年、頭眩・目まいの持病に悩まされ、鍼治療で一時回復するが再発した。
- 武氏は表向き高宗の快癒を祈ったが、内心では快く思っていなかったとされる。
- 東都で病が篤くなり、太子哲(中宗)に後事を託して崩御した(享年五十六、在位三十四年)。太子哲が即位した。
評語
- 前半は裴行儿の西突厥・東突厥討伐を中心に、王方翼・薛仁貴・婁師徳の功をあわせて記す構成の妙を評す。
- 後半は武氏による親族迫害を簡潔にまとめ、やがて訪れる高宗の崩御へと筋を通す構成を評価し、この回が唐室の盛衰の大きな転換点であるとする。