唐史演義第一十三回 玄武門にて同胞刃を受く/廬江王謀反して誅せらる (玄武門同胞受刃  庐江王謀反被誅)

洛陽行きの取り消しと切迫する危機

  • 建成・元吉は、世民が洛陽に出れば制御できなくなると恐れ、心腹に上奏させて高祖の心を翻させ、世民の洛陽行きは沙汰止みとなった。世民は自らの立場が危ういと悟る。
  • 元吉は世民配下の勇将・尉遅敬徳を懐柔しようとするが(槍術の試合で完敗させられた逸話も語られる)、敬徳は「秦王への恩義がある」と金銀の贈り物を拒絶。元吉は逆に敬徳を讒言して殺そうとするが世民の弁護で免れる。
  • 元吉はさらに程知節を左遷させ、房玄齢・杜如晦を秦王府から追い出す詔を出させるなど、秦王府の切り崩しを進めた。長孫無忌・房玄齢らは「周公の故事にならい決断すべき」と世民に迫るが、世民は逡巡していた。

決起の決断

  • 突厥来寇を口実に元吉が精鋭を引き抜こうとする中、率更丞の王晊が「建成・元吉が昆明池の送別の宴で世民を謀殺する計画がある」と密告。
  • 長孫無忌・尉遅敬徳らに強く迫られ、占いに頼ろうとした世民に対し、幕僚の張公謹が亀甲を投げ捨てて「もはや迷う時ではない」と決断を促した。
  • 世民は佩刀を敬徳に渡し、拒む房玄齢・杜如晦を変装させて呼び寄せ、密議のうえ挙兵を決めた。

玄武門の変

  • 太白(金星)が秦の分野に現れたとの上奏を機に、世民は高祖に「建成・元吉が後宮を乱している」と訴え、高祖は翌日の審問を約した。
  • 世民は夜のうちに長孫無忌らを玄武門に伏せさせる。建成・元吉は不穏を察知しつつも参内し、世民に呼び止められた元吉が矢を放つも外れ、世民の矢が建成を射殺した。
  • 元吉は尉遅敬徳に追われて落馬した末に射殺され、敬徳が両者の首級を斬って掲げ、東宮・斉王府の軍勢に「奉詔誅逆」と呼びかけて解散させた。

事後処理と立太子

  • 高祖は海池で舟遊び中に、甲冑姿の敬徳から「太子・斉王が乱を起こしたため誅殺した」との報告を受け驚愕。裴寂・蕭瑀・陳叔達らの進言もあり、世民を皇太子に立て軍国の事を任せることを決めた。
  • 世民は父の胸に取りすがって涙を流し、高祖もまた涙した(原文は演出的な場面として描く)。
  • 秦府の家臣らは建成・元吉の子ら(甥にあたる少年たち)も一律処刑するよう求め、世民はこれを止めなかった。ただし尉遅敬徳の諫めにより、他の関係者への連座は行わず大赦とした。

庐江王李瑗の乱

  • 太子洗馬・魏徴はかつて建成に世民排除を勧めていたが、世民に召されて堂々と弁明し、逆に重用された。
  • 建成と密通していたことが発覚した庐江王李瑗は、召還の使者に動揺し、腹心と頼んだ王君廓にそそのかされて挙兵。しかし君廓は当初から瑗を売る腹づもりで、味方を離反させて瑗を捕らえ、絞殺して首を長安に送った。
  • (詩:庐江王の浅慮な挙兵を詠む)

評語

  • 尉遅敬徳による元吉誅殺と、王君廓による庐江王誅殺は好対照をなす。敬徳は秦王に忠実だが高祖への大義名分では非難の余地があり、君廓は表向き忠のようでいて実は瑗を売って功を図った大姦である。