唐史演義第二回 秘計を定め副留守を誘殺す/外部の助けを得て大将軍を自称す (定秘計誘殺副留守 聯外助自號大將軍)
目覚めと裴寂の勧誘
李淵は目を覚まし、傍らに侍る尹・張二美人が宮中の妃嬪であると知って驚愕する。二人は「主上が江都から戻らず世が乱れているため、裴副監の計らいで身を寄せた」と答える。李淵が裴寂を問い詰めると、裴寂は「隋の天下もたやすく取れる」とほのめかすが、李淵は「代々の恩を受けた身」として応じない。折しも突厥が馬邑に迫る急報が入り、話は中断する。
李世民の説得
馬邑での敗報に李淵が苦悩するところへ、次子李世民が「今こそ義兵を興すべき」と説く。李淵は最初これを叱責するが、世民は「賊を討ち尽くせねば罪に問われる。李氏興隆の噂で郕公李渾のように無実で誅されかねない」と重ねて説き、李淵はついに決意を固め、河東の家族を呼び寄せさせる。
煬帝の召還命令と挙兵決断
煬帝が李淵の失策を理由に召還使を送ってくると、裴寂・世民は「先んずれば人を制す」と挙兵を迫る。李淵はなお躊躇するが、裴寂に「二公子と宮人の一件が露見すれば一族皆殺しになる」と迫られ、ついに決意する。使者には仮病を使って時間を稼いでいたところ、たまたま赦免の詔が届き、事はいったん収まる。
王威・高君雅の粛清
李世民の勧めで裴寂は劉文静を獄から呼び出し、偽の徴兵令で民心を隋から離反させる。劉武周が汾陽宮を占拠すると、世民は父を促して挙兵の名分を固め、王威ら諸将に「朝廷の裁可を待たず自ら討賊すべき」と諮り、募兵の実権を劉文静・劉弘基・長孫順徳に握らせる。副留守の王威・高君雅は不審を強め、晋祠での祈雨に乗じて李淵暗殺を謀るが、事前に密告され失敗。世民は謀計をもって二人を突厥内通の罪で捕らえさせ、処刑する。
突厥の撃退と家族の合流
その直後、突厥軍が実際に晋陽へ来寇するが、李淵は城門を開け放つ疑兵の計でこれを退ける。再度の来襲も世民の計略で撃退した。ほどなく河東の家族が到着するが、竇夫人はすでに亡く、三男玄霸は病没、末子智雲は道中で捕らえられ長安で殺害されていたと知り、李淵は悲嘆する。娘婿の柴紹も長安から駆けつけ合流する。
突厥との連携と挙兵
劉文静を使者として突厥と結び、始畢可汗の「唐公を天子に」との申し出に対し、李淵はいったん代王侑を立てて隋室を存続させる形を取ることで折り合い、土地は唐、財貨は突厥という条件で協定する。始畢可汗は馬千匹を贈り、以後李淵は突厥に「外臣」を称するほど低姿勢を取った。
西河攻略と大将軍就任
李淵は建成・世民に西河を攻めさせ、軍紀を厳しく保った上でわずか九日で攻略、抗した高徳儒のみを斬って民心を得る。李淵は「大将軍」を称して府を開き、裴寂を長史、劉文静を司馬、建成を隴西公、世民を敦煌公とするなど文武百官を配置し、晋陽宮の兵糧・財貨・宮女(尹・張二美人を含む)を接収する。大業十三年秋、李淵は三万の兵を率いて太原を発ち、霍邑に向かう途中、隋将宋老生の抵抗に遭う。(詩:豊沛に興った漢の高祖に比べ、唐公の挙兵は近隣の敵と異民族の助けを頼らねばならなかった、という趣旨)
評語
李淵の挙兵は本心からではなく、世民の説得と裴寂の脅しに押されてのものであったと、作者は史実に即し曲筆をもって描く。王威・高君雅の誅殺や劉文静の対突厥外交も、簡潔かつ要を得た筆致で語られており、荒唐無稽な神怪談に頼らず史実に基づく叙述こそが読むに値すると評される。