唐史演義第一回 王朝の興りを遡り将家の血筋を語る/美女を選び宴に侍らせ唐公を誘う (溯龍興開編談將種 選蛾眉侍宴賺唐公)
開巻の弁――「唐は烏龜」論
語り手はまず、世間に流布する『説唐』『西遊記』などの俗説・神怪譚が唐の歴史を歪めて伝えていることを嘆き、正史に基づいて唐二百九十年を演述する趣旨を述べる。続けて「漢経学、晋清談、唐烏龜、宋鼻涕、清邋遢」という俗謡を引き、太宗・高宗以降、宮中で后妃や寵臣による姦通・淫乱が絶えず、それが後の宦官専横(高力士に始まる)や藩鎮跋扈(安禄山の三鎮兼領に始まる)を招き、最終的に朱全忠による簒奪に至ったと説く。本書は女禍・宦官の禍・藩鎮の禍の三段構えで唐の興亡を語ると宣言する。
李淵の出自
唐の始祖李淵、字は叔徳、隴西成紀の人。西涼武昭王李暠の子孫で、祖父李虎は西魏に仕えて八柱国の一人となり唐国公に封じられた。父李昞は隋の煬帝の岳父にあたる独孤氏と姻戚関係にあり、李淵自身も体に三つの乳があるなど異相の持ち主として文帝に目をかけられた。李昞の死後、李淵が爵位を継ぎ、譙・隴の刺史を経て太原留守となり、寛容な統治で人心を得た。
煬帝の猜疑と李淵の韜晦
隋末、「桃李子、有天下」「楊氏将滅、李氏将興」との讖言が広まり、煬帝は李密や李渾を次々に疑って粛清する。李淵にも召命が下るが、甥の王氏から煬帝が不穏な言葉を漏らしたとの密書を受け、賄賂で使者を懐柔し、病と称して韜晦する。その後、討捕の任を受けた李淵は賊将母端児らを撃破して名声を上げ、煬帝の雁門巡幸に従うが、突厥の始畢可汗に雁門を包囲され窮地に陥る。
李世民の登場
このとき李淵の次子・李世民が、屯衛将軍雲定興の募兵に応じて従軍していた。世民は母竇氏(隋の武帝の甥女で才知に優れ、李淵が孔雀の的を射抜いて娶った経緯を持つ)から生まれ、幼くして兵法に通じ、人相見からも「済世安民の相あり」と評された英傑であった。世民は雲定興に疑兵の計(旌旗を延々と連ね、夜も鉦鼓を鳴らして大軍に見せかける)を献じ、始畢可汗を退かせて煬帝を救う。その後、李淵に従って太原に戻り、賊将甄翟児に包囲された父を寡兵で救出する武勇も示す。
群雄割拠の情勢
煬帝が江都に留まり酒色に耽る間、劉武周・李密・竇建德・薛挙・蕭銑・杜伏威・李軌など各地で数十人が相次いで挙兵し、帝・王・公などを自称して天下は四分五裂となる。煬帝周辺の佞臣は各地の急報を隠し続け、隋の命運はすでに風前の灯であった。
李世民・劉文静・裴寂の密謀
太原留守の李淵が時勢を憂う一方、世民は密かに人材と交わり大事を図る。晋陽令劉文静は世民の器量を見込み厚誼を結ぶが、同僚の裴寂は当初半信半疑であった。李密との縁戚を理由に文静が投獄されると、世民は獄中の文静を訪ね、天下を取る計略(太原の民と父の麾下の兵を糾合し関中を衝く)を授かる。世民はさらに裴寂に賭博でわざと負けて歓心を買い、挙兵の密謀を打ち明けた。裴寂は「正面から勧めては拒まれよう、密かに事を運ぶほかない」と応じる。
晋陽宮の酒宴――女禍の発端
裴寂は晋陽宮(副監を兼ねる自らの職務を口実に)李淵を招いて酒宴を催し、酔わせたところで二人の美女(晋陽宮の妃嬪)を侍らせる。李淵は正体も問わぬまま深酔いし、二美人に伴われて床に就く。(詩:隋の天子でさえ美色に迷ったのに、まして常人をやという趣旨の詠嘆)
評語
本回は唐二百九十年の大綱として「女禍」を第一の伏線に据え、李氏父子の事跡を二段に分けて叙し、あわせて四方の群雄蜂起を簡潔にまとめて見取り図を示す構成になっている。末尾で晋陽宮の一件に接続し、以後の女禍の端緒を示した手際は、通俗小説にとどまらぬ周到な構成だと評される。