鐵冠圖全傳第四十六回 汗君を恥じ袂を払い居を遷し、紅顔のため怒り髪冠を衝く (羞汗君拂袂遷居 為紅顏衝冠一怒)

弘光帝、呉三桂徴用の上奏を却下

  • 史可法は弘光帝に、閻法父子の官職授与と呉三桂を召し出す旨を上奏するが、弘光帝は「山海関は北方防衛の要、呉三桂の兵を動かせば清が乗じてくる。しかも呉三桂には反骨の相があり、私的に書状を出したのは不忠の行いに等しい」と厳しく叱責して却下する。閻法には候補知県、閻如玉には弓手の職を与えるにとどめた。
  • 史可法は憤慨しつつ引き下がる。弘光帝が中興の主ではないと悟った閻法父子は職を辞し、蕊英母子を連れて開封に戻り、さらに武昌府羅公山へ移り住んで隠棲する。

呉三桂の勤王檄文

  • 山海関の総鎮・呉三桂は闖賊の暴虐を憂いつつ朝命を待っていたが、ようやく入京の勅命を受け、四十万の兵のうち十万を関の守備に残し、三十万を率いて急行する。しかし途上で北京陥落と帝后崩御の報に接し、塞外に留まって勤王・復讐を誓う檄文を発した。

父からの降伏勧告と決別

  • 史可法からの書状で南京の弘光帝擁立を知った呉三桂が動静を窺う中、李自成は呉三桂の父・呉驤に降伏を勧める書状を書かせ、使者を送る。呉三桂は当初返答を保留するが、家財没収・父の抑留・愛妾陳氏(陳円円)が奪われたことを知るや激怒し、父への絶縁の書状を返して徹底抗戦を決意する。
  • 使者を斬ろうとするも部将の諫言で思いとどまり、父の書状のみを持ち帰らせた。

柏正善・容天成との攻防

  • 李自成配下の柏正善・容天成は豊潤県の前後に伏兵を敷いて呉三桂を挟撃しようとするが、緒戦で柏正善は敗れる。策を用いて呉三桂を九里山へ誘い込み包囲するも、呉三桂は血路を開いて突囲、兵力を大きく損じながらも脱出し、関へ撤兵した。

崇禎帝の夢告げ

  • その夜、呉三桂は夢で崇禎帝に会う。帝は「明の天下が尽きたのは長白山の旺気により清の祖が興ったためであり、これは天運である。宏光の詔はもう来ない。清に援兵を借りて賊を討ち、天下を平らげよ」と告げて姿を消した。
  • 目覚めた呉三桂は史可鑒にこの夢を語る。折しも南京からは弘光帝が史可法の私的な上申を叱責し、山海関への詔も出さないとの知らせが届く。史可鑒は「先帝のお告げに従い、清に援兵を乞うべき」と進言する。