鐵冠圖全傳第四十四回 臣忠を尽くし奸を剮きて主を祭り、将国に背き賊を恐れ兵を按ず (臣盡忠剮奸祭主 將負國畏賊按兵)
李國楨、三条件を掲げて帰順
- 李國楨は李自成に帰順する条件として、崇禎帝・皇后の遺骸を礼をもって殯葬すること、自ら霊前で喪に服すこと、売国の奸賊・杜勛と杜秩亨を差し出し祭壇で処刑させることの三つを求め、李自成はこれを認めた。
- 帝后と王承恩・高時明の遺骸は東華門外に安置され、李國楨は喪服姿で祭祀を執り行う。多くの民も参列し、悲嘆にくれた。
奸賊の処刑と李國楨の自刎
- 引き出された杜勛・杜秩亨は民衆から激しい制裁を受けたのち、李國楨自ら刃を下して処刑し、その首を祭壇に供えて弔った。
- 李自成側から入朝を促す使者が来ると、李國楨は民に「自分は功臣の子孫でありながら社稷を守れなかった罪は免れない」と述べ、その場で自刎して果てた。
- 李自成は当初激怒するが、宋炯の「李國楨は節を全うした忠臣である」との諫言を容れ、公侯の礼で葬らせた。
殉難した官民たち
- 蘆棚に残った周鳳翔・王德茂のもとに范景文が河南から戻り、左良玉が勤王の兵を出し渋って河南へ引き返したこと、諸鎮も動かなかったこと、呉三桂の父・呉驤が既に降伏していたため呉三桂軍も来ないだろうことを語る。
- 范景文は皇霊を拝したのち自邸で自縊し一族も殉節、周鳳翔もこれに続いて自縊し妻妾も共に殉じた。周鳳翔は父母に宛てた血書と辞世の詩を遺した。
- このほか、倪元璐・施邦曜・凌義渠・王家彥ら多数の文武官・婦女子が殉難したことが列挙される。中でも李國楨の忠義がもっとも称えられた。
邊大綬への報復命令
- 李自成は、自分の父母の墓が邊大綬に暴かれたことを思い出し、李國楨の忠義と比べて自らの不甲斐なさに怒り、邊大綬を生け捕りにして京へ連行し処刑するよう命じ、各地に隠匿を禁じる令を出した。