臺灣外紀克塽、讒を信じ百姓を斂む/藍理、傷を負い澎湖を攻む(卷二十七 克塽信讒斂百姓 藍理負傷攻澎湖)

和議交渉の頓挫

康熙二十二年正月、黄朝用の説得が実らず引き上げる中、国軒は克塽に有能な使者の派遣を進言し、林良瑞(林珩)が福州へ送られる。姚啓聖は招撫を、施琅は徹底討伐を主張し、両者の意見が一致せず交渉は進まない。

怪魚出現の逸話

四月、澎湖に暴風雨の後、金色の鱗を持つ怪魚が上陸し、後に死んで人々を驚かせる。かつて成功が鯨の生まれ変わりであったとの隠元禅師の予言が回想される(評語部)。

施琅の再上奏

五月、施琅は姚啓聖の消極策(趕繒船による持久策)を批判し、澎湖攻略の好機を逃さぬよう即時進攻を求める密疏を重ねて上げる。投降者の証言から台湾側の窮状(米価高騰、土番の反乱、兵の厭戦)を詳述する。

澎湖の防備強化と収奪

劉国軒は澎湖の防衛を固める一方、糧餉不足に苦しみ、馮錫范は百姓への課税強化を提案するが国軒は民心離反を恐れて反対する。金採掘の企ても土番の抵抗で失敗する。禮官の林数地は寵臣の専横を諫める上申を行い、若干の抑制がなされる。

天変と災害

五月、台湾に流星や大雨・山崩れが相次ぎ、不吉な予兆とされる。

姚啓聖・施琅の対立継続

万正色ら招撫派は持久策を説くが、施琅は南風による即時進攻の正当性を重ねて上奏する。

施琅の出陣

六月、施琅は銅山に艦隊を集結させ、先鋒を募ると藍理が名乗り出る。六月十四日、艦隊は澎湖へ向けて出撃する。

澎湖海戦

劉国軒は各島の砲台網で迎撃態勢を敷く。施琅軍が到着すると両軍は激突し、施琅は流れ弾で負傷しながらも指揮を続ける。藍理は自ら火だるまになりながら奮戦して施琅を救い、腹を割かれる重傷を負いながらも戦い抜く。清軍は苦戦の末に一旦退くが、国軒は追撃を制し、これを慢心と評する邱煇らの進言を退けて守勢を選ぶ。

施琅の陣容立て直し

施琅は艦隊を西嶼頭に収めて態勢を整え、退却した諸将の処罰を巡って一悶着あるが、藍理らへの論功行賞を行い、呉英の献策「五梅花の陣」を採用して次の総攻撃に備える。