臺灣外紀錫範、婿として𡒉攻略を試む/啓聖、題を保じ施琅を請う(卷二十五 錫范為婿試克𡒉 啟聖保題請施琅)
元宵の贅沢を克𡒉が諫める
康熙二十年正月、克𡒉は父に代わり文武百官の朝賀を受ける。経が元宵に盛大な燈火の宴を催そうとした際、克𡒉は民の疲弊を理由に自粛を進言し、経もこれに従うが、自身は洲仔尾の園亭で変わらず遊興を続けた。
鄭経の病没
経は放蕩がたたって痔疾が悪化し、危篤となる。国軒・錫范を枕辺に呼び、後事を克𡒉に託して息を引き取る。享年三十九。董国太をはじめ一族が集まり、王の礼で殯が行われる。
馮錫范の陰謀と克𡒉の暗殺
錫范は克𡒉が李氏の実子(螟蛉子)であることを理由に、鄭聰ら経の弟たちと結んで後継から排除しようと画策する。国軒には「鄭氏の家事に外野は口を出さぬ」と距離を取らせつつ、董国太には兵民の不服を偽って伝え、位を譲らせる工作を進める。国太の命と偽って克𡒉を招き入れ、聰・明・智・柔と蔡添が待ち伏せて克𡒉を刺殺する。国軒は病と称して現場に関与せず、事後もこれを黙認する。
監国夫人・陳氏の殉死
克𡒉の妻陳氏は事の真相を知り国太に詰め寄るが覆らず、夫の柩に付き添うことを願い出て許され、三日の喪に服したのち自ら首をくくって果てる。世人はこれを哀れみ、詩を作って悼んだ(評語部にまとめる)。
克塽の擁立と論功行賞
馮錫范・劉国軒は董国太に働きかけ、経の次子克塽(当時十二歳)を後継に据える。叔父の聰は輔政公とされるが実権は錫范・国軒が握り、国軒は武平侯、錫范は忠誠伯に叙せられる。
清側の招撫工作
鄭経死去と内紛の報を得た喇哈達・姚啓聖らは、天が鄭氏を滅ぼそうとしていると見て、招撫の布告を沿海一帯に発し、澎湖・台湾へも送りつける。文書は投降者への厚遇を説くが、台湾側は特に応じない。
董国太の死
克𡒉の死を悔いた董国太は病に伏し、六月に没する。かつて成功に信頼され、内乱の際にも神主を守り抜いた逸話が回想される(評語部)。
施琅の起用
姚啓聖・呉興祚は台湾の内紛に乗じて平定を図るべく、施琅を水師提督に推挙する上奏を行い、康熙帝はこれを許す。施琅は北京で密命を受け、福建へ赴任する。
傅為霖・高壽らの内応計画とその露見
かつて施明良と共謀していた傅為霖は再び姚啓聖に内通を図り、蔡愷・高壽・朱友らを誘って澎湖来襲に呼応する陰謀を進める。しかし朱友が不吉な予感から翻意し密告したため、克塽は馮錫范に命じて為霖・高壽らを捕らえさせる。
沈端一族の悲劇
錫范は財産目当てに続順公沈端をこの一件に巻き込み、無実の沈端・沈珽兄弟に死を賜る。沈端の妻(鄭斌の娘)は父の勧めを拒み夫と運命を共にする道を選び、家族もこれに殉じる(評語部に詩あり)。処刑された為霖・高壽らの家族も多くが自害した。
施琅の澎湖偵察と防備強化
十月、施琅は投降者陳昂から澎湖・台湾の内情を詳しく聞き取り、進攻の方策を練る。台湾側でも為霖の家宅から啓聖との密書が見つかったことを受け、劉国軒を澎湖に派して砲台網を整備させ、雞籠山にも城を再建して備えを固める。財政難から住宅への課税強化も行われ、民の不満は募った。
年末の対峙
十二月、施琅らが定海に集結するも北風のため一旦兵を退く。国軒は澎湖の陣を陳諒・林陞に託し、台湾へ帰って克塽に報告する。
評語
董国太の生涯(成功に見込まれた見識、孫への戒め)と、克𡒉夫人陳氏の殉死の逸話が挿話として詳しく語られ、著者は忠孝節義を貫いた陳氏を惜しみ、追悼の詩を重ねて掲げている。また沈端夫人の貞節にも同様の哀悼の詩が添えられ、権臣の専横による無実の死を惜しむ論旨が示される。