臺灣外紀劉国軒、単騎で主君を救う/陳永華、計に陥り権を辞す(卷二十四 劉國軒單騎救主 陳永華墮計辭權)

施明良の陰謀と劉国軒の急襲

康熙十九年正月、劉国軒は廈門に来て鄭経に、施明良を重用しすぎることの危うさを説くが、経は聞き入れない。国軒に疑われていると知った施明良は、経を誘い出して清に売り渡そうと画策する。烏驢の逸話で経に取り入った明良は、潯尾港の視察と称えて経を人けの少ない道へ連れ出す。折しも夜中に経の外出を知った国軒は単騎で急行し、高崎に至る手前で経一行に追いつき、明良の計略を阻んで経を連れ戻す。

施明良・王世沢の粛清

国軒は廈門の要所に密偵を置き、内地にも探りを入れて明良の内通の証拠を固める。明良は経に取り入って辞任を申し出るが、経はかえって慰留する。国軒は明良が姚啓聖に廈門を売り渡そうとしている確証を得て経に急報するが、経は当初取り合わない。傅為霖の密告も加わり、経はついに明良・世沢を台湾へ移すよう装いつつ、副鑾儀衛の陳慶を遣わして大擔で両名とその一族を斬らせる。国軒はこれで内患が除かれたと安堵する。

海壇の海戦と林陞の退却

万正色は福州で艦隊を整え、金門・廈門への総攻撃を各将に指示する。鄭経は林陞・江勝・陳諒・朱天貴らを北上させて迎撃させ、海壇港で両軍が激突するが勝敗は決しない。朱天貴は積極攻勢を主張するが、総督の林陞はこれを退けて全軍を遼羅へ後退させてしまい、天貴は落胆する。

海澄陥落と廈門の動揺

劉国軒が観音山を守る中、林陞の後退の報は誤解を招き、廈門は動揺する。経は誤った憶測から国軒に撤兵を命じる急使を送り、国軒は憤慨しつつも命に従い各寨を放棄して撤退する。姚啓聖・喇哈達らはこの機に乗じて進撃し、海澄県城および周辺の十九寨を次々に攻略する。

鄭経の台湾撤退

廈門の民は動揺して逃げ惑う中、経は財宝を先に台湾へ運ばせる。陳昌が内応して経を襲おうとするが黄良驥の機転で防がれ、陳昌はそのまま清に投降する。経一行は住民を置き去りにしたまま船で澎湖・台湾へ逃れ、廈門に残された百姓は混乱と略奪に苦しむが、呉桂・黄瑞らが治安維持にあたる。台湾に戻った経は母董夫人に、権謀を制御できず側近に権力を握られたことを厳しく叱責される。

朱天貴の離反と銅山の変

林陞は独断で船団を澎湖へ逃した。朱天貴は劉国軒らが台湾へ去ったと知り、馬興隆の守る銅山を欺いて占拠し、興隆父子を殺害して財を奪う。姚啓聖は天貴を招撫し、天貴は銅山ごと清に投降、浙江平陽総兵に任じられる。清側では占領した諸島の維持を巡り議論の末、展界(沿海住民の帰郷許可)と防備の再編が決まる。

馮錫范の策謀と陳永華の失脚

台湾に戻った馮錫范は、実権を握る陳永華を疎み、劉国軒と結んで永華に辞任を勧める。永華はこれを真に受けて兵権の返上を願い出て許され、所轄の軍は劉国軒に移される。だまされたと悟った永華は悔やむが手遅れであった。

陳永華の死

政務を退いた永華はある日「瘟使者」が家を借りに来たと言い出し、まもなく病没する。刑官柯平・戸官楊英らも相次いで世を去り、周囲は永華の予言通りだったと驚く。

天文の異変・軍備増強

四月、台湾に彗星が現れ長期間消えず、七月にも再び出現するなど不吉な兆しが続く。啓聖の軍備増強の情報を受け、経は屯田の民から兵を徴発し、商民にも重い課役を課したため民の不満が高まる。

鶏籠山城の破却

清の林賢が鶏籠山(基隆)から上陸して台湾を攻める構えを見せたため、馮錫范の献策により林陞を派して鶏籠山の城を自ら平地に取り壊し、敵に拠点を与えない策を取る。

江勝・邱煇の南澳撤退と鄭経の遊興

江勝は朱天貴の温情で銅山を脱し、邱煇と語らって南澳・達濠の民を東寧へ移して清軍に空き城を渡す。鄭経は洲仔尾に庭園を造営し、諸将文士を集めて遊宴に耽る一方、長子の克に政務を委ね、自らは酒色に溺れていった。