臺灣外紀黄芳度、畏迫し偽り降る/耿精忠、敗れて和を修む(卷十七 黃芳度畏迫詐降 耿精忠見敗修好)
耿精忠の講和申し入れと拒絶
同安・海澄を失った耿精忠は馮国銓を廈門へ送り、沿海島嶼の割譲と通商を条件に和議を求めたが、鄭経は「天下は太祖の天下」「先に背約したのは精忠側」と一蹴し交渉は決裂した。
鄭経の泉州入城
鄭経は張学堯らに同安から陸路で泉州へ進ませ、自らも馮錫範・薛進思・劉国軒・何祐らを率いて海路から入城。王藩錫(王進功の子)は五営の兵を率いて出迎え、鄭経は永暦二十八年を称して安民を布告した。藩錫を錦衣衛指揮使に任じるなど諸将に官職を与え、劉国軒・何祐らに周辺七県の平定を命じた。
呉三桂からの返書
呉三桂は使者を通じ、自ら「周」と改元した経緯を弁明する書を送るが、鄭経は「天下に信を失う行い」と冷ややかに評した。
黄芳度の帰順工作
海澄公黄芳度は同安・海澄の陥落を見て、中軍呉淑と諮り鄭経へ和を通じることとし、へりくだった書を送る。鄭経はこれを厚遇して応じた。芳度は疑いをかけた汀漳巡海道張全と城守副将劉豹を粛清し(劉豹殺害には因果話の挿話が伝わる)、さらに馮錫範への贈賄を通じて降伏の意を伝え、鄭経は矢を折って誓約し芳度を徳化公・前提督に封じ漳州に留めた。
潮州の内紛と劉進忠の反乱
続順公沈瑞(幼少)の後見をめぐり副都統鄧光明と潮州総兵劉進忠が不和となり、双方城内に柵を設けて対立。進忠が縁組を申し込んで拒まれたことで対立が激化し、光明が進忠暗殺を謀るも露見、逆に進忠が光明側の将を捕殺して勝利。光明は降伏し、進忠は剪辮して耿精忠に呼応し寧粤将軍に任じられた。
尚可喜の潮州征討と鄭経の援軍
平南王尚可喜は子の尚之孝に潮州討伐を命じ、劉進忠は同安・海澄・漳泉の陥落を見て鄭経へも救援を求めた。鄭経は進忠を定鹵伯に封じ、楊奕・金漢臣・呉世徳らを援軍に送った。潮州葫蘆山をめぐる攻防では清の聶包が戦死するなど激戦が続き、鳳凰洲の争奪や夜襲の掛け違いによる呉世徳・金漢臣の不和などの曲折を経て、清軍は一時後退した。
詔安・饒平方面の戦況
続順公の縁者沈端は詔安の豪族と結んで清軍に呼応しようとしたが露見して失敗、清の張夢吉・宋文科が黄岡を制圧し潮州を包囲したが、鄭経方の陳寵らの来援で潮州は持ちこたえた。
王進の再挙と泉州方面の戦い
興化に退いた王進は増兵を得て泉州方面を再攻したが、鄭経方の劉国軒に塗嶺の戦いで大敗し興化に逃げ込んだ。
呉三桂の再度の講和勧告
呉三桂は鄭経と耿精忠の不和を憂い、両者の和睦を勧める書を送ったが、鄭経の姿勢は変わらなかった。
漳浦・雲霄の攻略
鄭経は漳浦の劉炎を討つべく馮錫範・趙得勝らを派遣。劉炎は抵抗するが敗れて降伏し、蕩虜将軍に任じられた。この際、漳浦の隠士張若仲・若化兄弟を招聘しようとしたが、二人は固辞して山を下りなかった。
潮州包囲の解除
趙得勝の来援と黄岡での清軍撃破により、清の王国棟・尚之孝は撤退し、潮州の包囲は解かれた。鄭経は陳永華の推薦で倪俊明・李其蔚を参軍に迎え、屯田・徴税制度を整備するなど内政を強化した。永春県では反乱者呂華の討伐が続けられたが決着しなかった。
沈端の降伏と潮州再攻の兆し
一時撤退した続順公沈端は詔安の詹四の献策で再挙を図るが劉進忠に包囲され、広東からの援軍も間に合わず、清の夢吉・文科は潮州府で孤立無援のまま攻防が続いた。