宋史演義第三回 父の病重きを憂い趙則平に託す/軍威を粛し李景達を大敗す (憂父病重託趙則平 肅軍威大敗李景達)
滁州入城と趙普との出会い
皇甫暉・姚鳳を捕らえた匡胤は滁州に入城して民を安んじる。竇儀の忠告を受け、庫の絹布を私用せず正規の手続きに従う潔さを見せる。ここで後の開国の元勲となる趙普(字は則平)と出会い、意気投合する。趙普は、匡胤が捕らえた住民百余名を盗賊として一律処刑しようとしたのを諫め、自ら取り調べて冤罪の者を釈放させ、匡胤の信頼を得る。
父の看病を趙普に託す
匡胤の父・弘殷が滁州で病に倒れる中、揚州が南唐の反攻を受け、世宗から匡胤に六合への出兵と揚州救援の命が下る。公私の板挟みに悩む匡胤に、趙普が「同じ趙姓のよしみで父の看病を代行する」と申し出て、匡胤は感謝して出征する。
揚州・六合をめぐる攻防
匡胤は撤退しかけた韓令坤を激励して踏みとどまらせ、韓令坤は南唐将・陸孟俊を討ち取る(陸孟俊は、かつて彼が虐殺した一族の生き残りである韓令坤の側室・楊氏の願いにより処刑された)。南唐元帥・李景達は揚州を避けて六合を攻めるが、匡胤は寡兵ゆえにあえて打って出ず、敵の来襲を待つ策を取る。
軍紀粛正と六合の大勝
匡胤は、皮笠に剣傷のある将兵を怯懦の証として処刑し、軍紀を引き締めたうえで全軍に決戦を命じる。牙将・張瓊に別動隊を託して退路を断たせ、自らは正面から突撃、李景達の軍旗を倒して総崩れに追い込む。李景達は小舟で辛くも江を渡って逃れたが、南唐軍は多数が斬られ、あるいは溺死した。
論功行賞と趙普の推挙
世宗はこの大勝を受けて還都を思いとどまり、江南攻略を継続しようとするが、宰相・范質の諫めで一旦帰還する。滁州に戻った匡胤は、父の病が趙普の看護で快方に向かっていたことを知り厚く感謝する。世宗の論功行賞では、父・弘殷は検校司徒に、匡胤は定国節度使・殿前都指揮使に、匡胤の推挙により趙普は節度推官にそれぞれ任じられた。文中では、唐代の予言書『推背図』の詩讖が趙氏父子の出世に暗合していたことにも触れられる。
評語
太祖が竇儀にへりくだり、趙普を重用した態度には人を見る目の確かさが表れている。韓令坤を激励した言葉も含め、文官には柔らかく、武将には威権をもって統御する巧みさがうかがえる。皮笠を斬って怠惰な兵を処罰し士気を鼓舞した処置も、剛柔併せ持つ人心掌握術の一例であり、本回全体を通じて太祖の知勇の両面が示されている。